DK-Kawachiの日記と雑学ノート ホーム » 中国地方遠征 »2011年4月29日 吉備国の城を巡る旅9 備中高松城・その1

2011年4月29日 吉備国の城を巡る旅9 備中高松城・その1  

服部から吉備線に乗って備中高松へ移動。

20110429_bicchu_takamatsu-02.jpg

備中高松駅は2面2線。
東総社・吉備津・大安寺と共に吉備線内では4つある列車交換可能な駅の一つです。

20110429_bicchu_takamatsu-03.jpg
20110429_bicchu_takamatsu-04.jpg

服部から備中高松まではキハ40形2000番台。
こちらはまだ単色塗装化されていません。

20110429_jrwest_dc_40_2000-01.jpg

備中高松駅の駅舎。
吉備線内の中間点に位置するこの駅は業務委託駅で数年前からみどりの窓口も開設されています。

20110429_bicchu_takamatsu-01.jpg

駅名の由来でもある備中高松城はこの駅の近くにあると言うことなので、短時間勝負ながら行ってみることにします。

20110429_bicchu_takamatsu-05.jpg

総社方にある踏切を渡りますが、踏切の名称は文字通り「城趾道」と称されています。

20110429_bicchu_takamatsu-06.jpg

踏切を渡ってしばらく北へ進むと小さな橋があります。
史蹟舟橋と呼ばれ、羽柴秀吉に水攻めにあった備中高松城の役に際して大きな濠が掘られ、長さ64mの舟橋が設けられていました。
実際に攻め込まれた際、舟橋を撤去して主郭部を守る重要なものだったようです。

現在は廃城後の耕作地化されたため細い用水路がその跡を示している程度でしかありません。

20110429_bicchu_takamatsu_castle-05.jpg

この北西側の宅地を挟んで場所に備中高松城跡があります。

20110429_bicchu_takamatsu_castle-06.jpg

史蹟舟橋から北へ少し歩いた先に高松城址公園として整備された備中高松城跡の入口があります。

20110429_bicchu_takamatsu_castle-07.jpg
20110429_bicchu_takamatsu_castle-01.jpg

先に触れた通り、廃城後の備中高松城は耕作地化されたのですが、その過程で殆どが消滅して、現在残されているいるのは本丸が城址公園として整備されている程度で、あとは三の丸の極一部が公園前の駐車場に掛かるぐらいです。

20110429_bicchu_takamatsu_castle-08.jpg
20110429_bicchu_takamatsu_castle-09.jpg

園内にある資料館。
来訪時にはすでに閉館していました。

20110429_bicchu_takamatsu_castle-10.jpg

しかしこれだと何処に何があったのか分からなくなります。
元々、沼地に建てられたことから周囲は土塁で固められただけで石垣は構築されなかったこともあって、城らしき痕跡が乏しいのが難点です・・・。

20110429_bicchu_takamatsu_castle-11.jpg
20110429_bicchu_takamatsu_castle-12.jpg
20110429_bicchu_takamatsu_castle-13.jpg
20110429_bicchu_takamatsu_castle-14.jpg
20110429_bicchu_takamatsu_castle-15.jpg
20110429_bicchu_takamatsu_castle-02.jpg

このあとは水攻めの痕跡が残された蛙ヶ鼻(水攻め史跡公園)へ向かいます。

→次に続く。
関連記事
スポンサーサイト

category: 中国地方遠征

tag: 日本の城郭  備中高松城 
tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://dkkawachi.blog58.fc2.com/tb.php/2519-89ea3034
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

サイト更新情報Twitter

DK-KawachiのTwitter

Facebook

フォト蔵

カレンダー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

OSAKAあかるクラブ

▲ Pagetop