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2011年1月10日 信越の城を巡る旅11 信濃松代城・その4  

松代城主郭部跡を巡った後は城址公園外にある関連施設などを見てきます。

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三の丸跡に建つ池田三寿夫美術館の敷地内にある三の丸堀跡。
実際は深い場所に埋まっているため、写真のものは再現されたもの。

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三の丸堀跡と大御門から通じる道の跡地を跨ぐ形で建っている真田宝物館。
真田家がここ松代に移ったのは江戸時代に入ってからですが、この宝物館には海津城→松代城に至る歴史と戦国時代~明治維新後の真田家の歴史や資料などが展示されています。

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真田宝物館と新御殿と呼ばれた真田邸の間は大御門からの道と三の丸堀外縁部に面していたようですが、現在はご覧の通り真田公園として整備されています。

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公園内に建つ恩田木工民親の像。
6代藩主・真田幸弘の勝手方御用兼帯である恩田民親は災害・不正などで財政危機にたされた松代藩の財政を立て直す役目を任じられた。
在任中は大きな成果が得られなかったが、彼の公正な政治姿勢と領民に対する真摯な姿勢から財政再建への意識を改革した意味は後世の評価につながったとされています。

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真田邸。

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新御殿とも呼ばれたこの屋敷は1862年の参勤交代の廃止により、江戸から帰った松代藩8代藩主真田幸貫の嫡男・幸良の夫人であった貞松院のために1864年に松代城三の堀の南側に隣接して建てられたもので、当初は貞松院の居宅として使用されていたが、後に9代藩主幸教の隠居所となり、さらに明治維新後は真田家の私邸として使用されてきました。

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新御殿の内部。

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真田邸内にある庭園。

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庭園を囲むように建てられている土蔵。
真田邸には一番から七番まで7棟の土蔵があります。

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庭園の奥に位置する御鎮守。

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続いては武家屋敷と松代藩文武学校を見てきます。

→次に続く。
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松代のまちづくりに取り組むNPO夢空間です。
松代城を詳しくご紹介して頂いて誠にありがとうございます。
長野電鉄屋代線廃止の危機です.
偶然屋代線に乗って頂いたのが貴重な記録になるかもしれません。

信州松代夢空間 #- | URL
2011/02/09 11:40 | edit

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