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2011年06月の記事一覧

2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅34 岡電撮影  

岡山城と後楽園巡りを終えて帰阪するまでの間は岡電などの撮影タイムとしました。

まずは岡電。
岡山へは何度か来訪していますが、岡電自体はまともに撮ったことがありません。

いわば手探り状態から始めるのですが、今回は撮影場所を中納言電停を中心にしました。
都心側ルート上にある主要道路に比べて交通量や車線数が少ないと言うのがその理由ですが・・・。

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7700形

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7300形

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9200形「MOMO」

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7400形

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7900形

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7100形

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7500形

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7300形

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小橋電停。

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9200形「MOMO」が通過。

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岡電の撮影はここまで。
岡山駅へ戻ります。

→次に続く。
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category: 中国地方遠征

tag: 岡山電気軌道 
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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅33 備中岡山城・その5  

後楽園を出て南側のからの合流点にあるモニュメント「水辺のももくん」を見てきます。

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旭川と挟んで対岸にある岡山城天守。

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フェンスの向こう側は後楽園南端。

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しばらく歩くと広場に出てきます。

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南端の様子。

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「水辺のももくん」と岡山城天守。

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相生橋。

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後楽園の背後。

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相生橋側から撮影。
左側が二の丸内郭(南東の郭)跡。

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相生橋を渡って二の丸内郭(南東の郭)へ。
左奥に見える岡山県庁がある辺りが二の丸跡で二の丸内郭(南東の郭)とは堀を挟んで西側に位置する。

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二の丸内郭(西の郭)側にある林原美術館。
この場所は対面所があったが廃城後に武家屋敷の長屋門が移築されて、旧藩主池田家の事務として利用され、後に戦災で焼失を免れた長屋門と土蔵は美術館の建物として保存・活用され現在に至ります。

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二の丸内郭(西の郭)石垣。

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この辺りは二の丸内郭(西の郭)の西面と西の丸との境目付近。
この場所には水堀もあった。

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石屋門跡。

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石垣の向こう側が岡山後楽館中学校と高校の内山下校舎で、かつては西の丸があった場所。
そして道路の部分は水堀跡。

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岡山城の移行としては岡山後楽館中学校と高校の敷地内に現存建造物の西之丸西手櫓があるのですが、学校の敷地外からも見ることが出来ます。
城下筋に面したビルの間から入ると・・・。

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西之丸西手櫓を見ることが出来ます。

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これで岡山城関連は終了。
このあとは撮影タイムとします。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備中岡山城 
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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅32 日本三名園~後楽園・その3  

日本三名園・後楽園巡り後編。
ここからは園内南側へ歩いて行きます。

蘇鉄畑。

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花交の池。

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花交の池北側にある梅林。

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花交の池東側。

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園内東端にある茶祖堂。

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花交の池の南側を歩いて行くと・・・。

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ここへ出てきます。

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園内北東側にある千入の森。

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茶畑の東端にある新殿。
文久年代に書かれた絵図には新御殿と記されています。

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沢の池へ戻ってくると・・・。

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しばらくすると池の西側へ逃げていった・・・。

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沢の池南西側から。

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園内西側にある能舞台・栄唱の間。

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花葉の池。

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花葉の池の中央に架かる橋。

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花葉の池西側。

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池の西側に置かれた大立石。
巨大な花崗岩を九十数個に分割して当地で元の形に組み直したものだそうです。

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園内南西にある茂松庵。
普段は閉ざされていますが、茶席での利用に限り借りることが出来ます。

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この辺りは二色が丘と呼ばれています。

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四天王堂。
もとは西二天の御堂で東二堂を合祀した際、現在の四天王堂に改称されました。

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地蔵堂。

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これで日本三名園の後楽園巡りは終わり、敷地外にある「水辺のももくん」を目指し歩いて行きます。

→次に続く。

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tag: 日本100名城  備中岡山城    日本三名園  後楽園 
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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅31 日本三名園~後楽園・その2  

日本三名園・後楽園巡りの続きです。

まずは沢の池に浮かぶ島茶屋。

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慈眼堂。

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御堂らしいのですが、特に説明がなされていないため不明・・・。

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茶畑。

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島茶屋の前にある船。

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島茶屋。

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沢の池東岸から見る延養亭と鶴鳴館。

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井田(せいでん)
中国周時代の田租法をことを指すのですが、4代目藩主・池田綱政によって造成された御菜園では藩主の意向により庭園内に田畑が多く見られたときの名残で、来訪当時は5月であるため田植えはまだという状態でした。

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唯心山。

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唯心山から見る沢の池。

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唯心山に植えられているツツジ。

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唯心山南麓にある花菖蒲畑。

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八橋。

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→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備中岡山城  日本三名園  後楽園 
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週末日記 2011年6月25日~6月26日  

2011年6月25日(

先週末購入した地デジ対応テレビとレコーダーが自宅に届きました。
地デジ完全移行まであと一月という駆け込み需要期の段階での購入で、個人的には初の地デジ対応機材となりました。

自室用に置いたのはPanasonic TH-L26X3という機種。
エントリーモデルのC3シリーズに26Vが用意されていないのと、再生専用と残す既存の機材を接続する関係からランク一つ上のX3シリーズにしたという次第・・・。

レコーダーはPanasonic DMR-BZT700と言う機種。
HDDが1TBの容量なのですが、これは収録可能時間をこれまで使っていたレコーダーと同じ水準に合わせたため。

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さて、早速使ってみましたが、使い勝手が違い過ぎて難儀。
リモコンが・・・。

それじゃ、どんなに逆立ちしてもAppleには勝てないわけです。


2011年6月26日(

26日は撮影のためお出かけ。
一先ず阪和線を南へ。

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和歌山からバスに乗換えて南海の和歌山市駅へ。

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ここで特急サザンの指定席車の車内写真を撮影。
たまたま、先頭車が初期車で中間車が4連化によって増備された後期車の編成だったため、製造年次で異なる車両の車内を撮っておくことが出来ました。

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岸和田へ移動。
ここでは岸和田城へ登城しました。

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現在は郷土資料館として整備されていますが、天守は1827年に落雷で焼失して以降再建されることはなかったが、戦後しばらく経った1954年に復興事業として再建されたものです。

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岸和田城を見たあとは泉大津市内の連立事業を見聞。
泉大津・松ノ浜ともに下り高架の構築がほぼ済んで、軌道を敷設するための工事などが進められていました。

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松ノ浜では現在地上を行く下り線が高架橋構築の支障となるため、切替え後も新設の下り高架ホームの一部がフェンスで仕切られる状態となります。

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折り返し関西空港駅へ移動。
ここで2代目8000系の車内写真をようやく捉えました。

1000系導入以降の南海の車両は内装がモノトーンでありましたが、2代目8000系では暖色系に寄った内装となっています。

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関空では空港北側に展望ホールがあり、1F南側出るシャトルバスに乗って移動。

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羽田や成田と違いターミナルの屋上に展望スペースが設けられなかったためですが、違った角度から旅客機を見ることが出来ます。

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1時間ほど滞在してから帰宅しました。

category: 日記

tag: 地上デジタル放送  液晶テレビ  HDDレコーダー  JR西日本  南海電気鉄道  連続立体交差事業  南海本線  関西空港   
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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅30 日本三名園~後楽園・その1  

デジカメのメモリーのストックを忘れたため岡山駅前のビックカメラへ駆け込んでメモリーカードを購入。
ちょうど岡山駅前へ戻った時が昼になった頃だったため昼食を挟んでから再び岡山城へ向かうことにしました。

ここで9200形「MOMO」に遭遇。
何度か遭遇し、撮影もしましたが、実際に乗車するのは初めてです。

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岡山城趾の烏城公園へ戻ると今度は日本三名園である後楽園へ。
本丸下の段跡北面に接する側から月見橋を渡ります。

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月見橋を渡ると御舟入跡付近となりますが、それは後ほど。

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東へ進むと茶屋などが軒を連ねています。

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茶屋を通り過ぎると後楽園の南門前に出ます。

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門脇の窓口で入園券を購入し園内へ。

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南門から入ると廉池軒の西側に出てきます。
では、ざっくりと園内の様子を・・・。

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沢の池。

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延養亭。
園内における藩主の居間として使われたものですが、戦災で焼失したため昭和30年代に再建されたものです。

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延養亭は鶴鳴館と隣接していますが、鶴鳴館は岩国の吉川邸を当地に移築したものです。

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沢の池西岸側。

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正門。

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郭沫若氏の歌碑。

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中国から贈られた丹頂鶴。

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水路。

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水源。
かつては4km上流の旭川から用水を引き入れていましたが、現在は当地内の伏流水を水源としてます。

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観騎亭。
藩主が馬の技を見るための建物で、戦災を逃れた数少ない建物だそうです。

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寒翠細響軒(かんすいさいきょうけん)
沢の池に面した小さな建物。

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長くなるので分割します。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備中岡山城  日本三名園  後楽園 
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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅29 備中岡山城・その4  

天守を出て本丸下の段へ下りていきます。

ここは塩蔵西側の通路で、この付近には中の段の表書院と下の段北面にある花畑御殿をと結ぶ渡廊下が設けられていました。

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中の段を南へ進み鉄門跡へ。

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本丸下の段南面。
写真で見る側は南東側を写したもので、右側に宍粟櫓、南東角に旗櫓、中央付近に土蔵がありました。

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本壇南面石垣に沿って東側へ。
左手奥には弓櫓・槍櫓・旗櫓が建並んでいました。

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旗櫓跡から撮影。

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本丸本壇南東側にある宇喜多家時代の石垣。

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旗櫓跡から南側を撮影。
右側は現在建物が建っていますが、当時は内堀の東端がこの場所まで接していました。

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下の段東面。
この奥には中水門・坂下門が並び、そのさらに奥に阪下多聞櫓がありました。

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六十一雁木下門跡から見る要害門(六十一雁木上門)

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天守北面。
特徴のある角を持つ天守は平面図で見ると不等辺五角形になるそうです。

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下の段南西側。
写真中央の虎口に内毛馬門が、右端には太鼓櫓がありました。

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同じ場所から鉄門側を撮影。
中の段の下に位置するこの場所は馬屋の他に舂屋櫓などがありました。

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内毛馬門跡。
本丸大手口にあたる城門です。

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烏城公園入口。
この場所には一の門が置かれていました。

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一の門の手前は目安橋。

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内堀西面南側。

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内堀南面東側。
この並びに舂屋櫓や宍粟櫓が見られました。

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二の丸内郭から内堀西面南西側を撮影。
この角には太鼓櫓が、そこから左手に修覆櫓・油櫓・隅櫓が間隔を置いて並んでいました。

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ここでメモリーカードの撮影可能枚数のリミットが近くなったのですが、スペアを持ってくるのを忘れてしまったため、岡山駅前のビックカメラに駆け込むことになりました・・・。

→次に続く。

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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅28 備中岡山城・その3  

本丸最上段の本壇へ入ります。
ここでは不明門(あかずのもん)から入ります。

現在こそ開門状態となっていますが、平時における中の段と本壇との往来は表書院北側の渡り廊下(藩主が利用
)か六十一雁木上門(御殿勤めの下働きの者などが利用)を利用することから、非常時以外は閉ざされていました。

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この門の周囲には見張りのための番所が置かれていました。

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三階櫓跡側から見る本丸本壇跡。
藩主の私邸である本壇御殿が置かれていた場所で、ちょうど正面奥が御殿の玄関があった場所。

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下男部屋・物置・春屋跡に配されている天守閣礎石。
現在の天守が鉄筋コンクリート造りで再建されたため礎石を配置そのままでこの場所に移されたもの。

ちなみに写真右端が干飯櫓があった辺り。

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六十一雁木上門。
要害門とも呼ばれ、主に本壇御殿に勤める下働き者が出入りするために使われていたそうです。

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本壇御殿玄関跡から見る。
左側が御殿の中庭である泉水があった辺り。

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岡山城天守。
左側に塩蔵と呼ばれる渡櫓が連結された複合式天守と呼ばれるもので、写真の天守は外観復元されたものですが、様式的には古く凝った作りとなっているそうです。

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天守入口。
これは観光用として設けられてもので、元は石垣です。
岡山城における天守への出入りは渡櫓である塩蔵を経由するようです。

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パンフレット類。

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天守内部は岡山城に関する歴史に関するの紹介や武具などが展示されていますが、展示室自体は一部を除いて撮影禁止です。

では最上階からの眺め。
北から順に時計回りで・・・。

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展示室内で唯一撮影できる大名駕籠。
記念撮影用で駕籠の中に入ることが出来ます。

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このあとは本丸下の段の南側を見てきます。

→次に続く。

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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅27 備中岡山城・その2  

それでは本丸中の段へ入ります。

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石段を登った先には中の段に建てられていた表書院跡(文献によっては表向御殿と称される)
ここには藩主の公邸や藩庁が置かれ、平時の藩の政務などが行われていました。

廃城後は解体されたため、現在はモニュメントで建物の間取りが示されていて、実際の礎石などは発掘調査後に埋め戻されています。

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また、発掘調査維持には宇喜多氏時代に築城された時に構築された石垣が発見されていて、中の段の2ヶ所を写真のよな形で公開されています。
これは、現在の岡山城の形態は関ヶ原の合戦で敗者となり改易された宇喜多氏に代わり、岡山城に入城した小早川秀秋によって本丸中の段を拡張した際、埋められたと言うことです。

さらに岡山城の中の段は小早川秀秋の死後に入城した池田氏により北側に拡張されていることから、数度にわたり改修されているのだそうです。

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渡り廊下があった辺り。
表書院と本丸御殿とを結ぶ形で写真の上方に廊下を架けていたそうです。

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廊下門西側。

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小納戸櫓跡を中心とする多聞櫓。
それぞれ南西方向に伸ばされ、南側は廊下門に接しています。

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写真では分かりにくいのですが、江戸時代の給水路跡です。

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小納戸櫓跡と月見櫓の間に位置する穴蔵跡。
大小二つの穴蔵があります。

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月見櫓。
先に触れた櫓ですが、今度は中の段側から撮ったもの。

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表書院西面に位置する泉水。
この場所が中庭だったとされています。

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数奇方櫓跡。
茶室で使われる道具などが納められていた櫓であるとされています。

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多聞櫓跡。
こちらは数奇方櫓跡と伊部櫓跡の間にありますが、復元されていません。

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伊部櫓跡。

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こちらは伊部櫓跡と大納戸櫓跡の間にあった多聞櫓跡。

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宇喜多氏時代の石垣。
廊下門側にあった石垣と反対側に南西側に位置しています。

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南西側から表書院跡を望む。

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大納戸櫓跡。
城内最大の三重四階建ての櫓があった場所で、藩政で必要な書物や道具が納められていたとされています。

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鉄門跡。
こちらはあとで触れることにします。

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大納戸櫓前は、供部屋・次の関・年寄中休憩所があり、奥に見えるやや白い石段には平重門(堀中門)がありました。

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表書院玄関跡。

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このあとは本丸最上段の本壇を見てきます。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備中岡山城 
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2011年5月1日 吉備国の城を巡る旅26 備中岡山城・その1  

GW前半遠征の最終日は岡山城からスタートします。

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岡山城へは岡電の城下電停が最寄り。

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と言うことでピンクの岡電に乗って移動。

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東山行きに乗って程なく城下電停に到着。

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西側は歩道橋、東側は地下道でのアクセスとなっています。
岡山城は東側にあるため細い地下道を抜けて。

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「しろちか」と呼ばれる自由通路兼コミュニティスペースを通り過ぎてから地上へ。

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城下電停はこのような感じですが、旧城下町時代は交差点より手前が旭川と繋がる堀、交差点から向こう側が三の曲輪がありました。
写真のある岡電は奥が岡山駅前方面、左が東山方面へ向かいます。

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ここから右手が西の丸、道路から左手の部分は堀。

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右手に見合える石垣が西の丸北面の石垣。

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北門があった辺り。

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旭川から見る後楽園。
実は出城として想定されていたことがある。

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周辺の合成パノラマ写真。

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二の丸内郭(西の郭)北面を旭川に沿って進むと北側に後楽園とを結ぶ月見橋。
現代はこのように橋が架けられていますが、当時は渡し舟を使っていました。

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本丸下の段。
烏城公園として残されている岡山城の本丸は一二三段と呼ばれる異なる高さが三段で構成されているもので、下の段は本丸の中でも最も外側に位置する曲輪です。

ちなみに右側にちらっと見える石垣は内堀で、この付近に隅櫓がありました。

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月見櫓。
戦災で焼失した岡山城で数少ない現存建造物の内の一つ。

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本丸下の段北面。
この辺りには多聞櫓や馬場口門がありましたが、これらは旭川の堤防の中に入り込んでいるようです。

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廊下門前から見る岡山城天守。
この辺りには花畑御殿が、御殿の北西側には花畑隅櫓がありました。

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花畑御殿跡から見る廊下門。
門の左手側に渡り廊下があり、本丸御殿と花畑御殿とを結んでいました。

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この廊下門は戦災による消失ではなく明治期に解体されたもので、現在ある門は昭和40年代に鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。

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このあとは本丸中の段を見てきます。

→次に続く。

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tag: 日本100名城  備中岡山城 
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週末日記 2011年6月18日~6月19日  

2011年6月18日(

7月24日に地上アナログ放送の終了となりますが、私の自宅は地デジ対応は居間に置かれたレコーダーが唯一地デジ対応機という状態・・・。
いよいよ、アナログ放送終了まで一月と迫ったことから、ようやく地デジ対応のテレビとレコーダーを購入してきました。

まあ、ギリギリまで待っていたようなものなのですが、梅田のヨドバシカメラは駆け込みで混雑。
しかも、手持ちの在庫が切れて来月上旬まで待ちという状態。

そこで日本橋へ移動し地元量販店で購入することに。
おそらくここなら速く確実に押さえることが出来ると考えたからです。

複数台購入なので瞬く間にお金が飛んでいきましたが、それでも地デジ対応機種が登場した頃よりか随分安く変えました。

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2011年6月19日(

19日は諸々撮影のためお出かけ。

まずは上新庄での撮影。
ここでは6300系の残留車をリニューアルさせた「京トレイン」を捉えました。

6300系は嵐山線向けの4両編成を残して廃車かと思われたのですが、ああいう形で出てくるとは思いませんでした。

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南茨木・門真市経由で京阪へ。
人も疎らな中之島駅で車内写真撮影。

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5000系には座席の表地を交換した車両が出ているようです。

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阪和線へ移動。
大阪市内の連立事業を見てから随分経過していますが、線内の各所で工事が着手されています。

まずは和泉府中。
ここは駅周辺の再開発事業に合わせて橋上駅舎化も進められてる予定です。

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日根野へ移動。

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ここではあまり見かけないB快速幕の225系などを捉えました。

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東岸和田駅へ移動。
ここは連立事業による高架化工事が進められていますが、現段階では上り仮線の敷設工事などが進められています。

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こちらの詳細は動画で撮影していますでの、YouTubeにアップしたものを公開します。
(2011.6.26 Update)



阿倍野へ移動。
こちらは再開発事業によりオープンした「abeno CUES TOWN」へ。

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阿倍野歩道橋の架け替え工事が図面に掲載されていなかった埋設物が発見されたことにより遅れているため、当面はペデストリアンデッキ経由とならず地上か地下からのアクセスのみとなっています。

内部的にはあとで出来た大阪ステーションシティほどの人出はないものの、あちらは手狭な印象であるのに対し、こちらの方は広々としています。

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このあとは難波経由で帰宅しました。

category: 日記

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅25 倉敷美観地区を行く・その4  

倉敷美観地区巡りのラストはライトアップで締めくくります。

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今橋から。

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大原美術館。

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中橋から。

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観光案内所。

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倉敷川東岸側。

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倉敷アイビースクエアへの路地。

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倉敷アイビースクエアに面した通り。

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これで倉敷美観地区巡りは終了。

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倉敷駅前で夕食タイムとしました。

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夕食後は岡山へ戻ってGW前半の遠征最終日を迎えます。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 重要伝統的建造物群保存地区  倉敷美観地区 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅24 倉敷美観地区を行く・その3  

倉敷美観地区巡り。
こんどは路地裏の方へ。

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表通りである倉敷川畔に対してこちらは倉庫の入口などが多い。

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再び倉敷公民館・中国銀行付近に出てきました。
この辺りは鶴形山の南側になります。

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井上家住宅。

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本町地区から美観地区東側の東町地区まで歩いて行きます。

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ここから東町地区に入ります。

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美観地区の端にあたるため、人通りが少なく静かです。

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今橋まで戻ってきて、美観地区北側を見てきます。

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倉敷物語館。
東大橋家住宅を改修・整備した施設で美観地区の拠点という位置づけとなっています。

正面の長屋門は観光情報コーナーが設けられています。

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母屋は倉敷の町並みなどの紹介の他、上階にある会議室などは予約すれば利用できるそうです。

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土倉風の建物はトイレなど付帯設備。

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しばらく待って夜の美観地区を見てきます。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 重要伝統的建造物群保存地区    倉敷美観地区 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅23 倉敷美観地区を行く・その2  

倉敷美観地区の続き。
続いては倉敷アイビースクエアへ。

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倉敷川の東岸側に面する通りから一つ東側の通りに面しています。
写真は南側からから撮影したもので、倉敷アイビースクエアはここから北に進んだ先にあります。

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倉敷アイビースクエア西門。
敷地の反対側が正門で、駐車場は正門側に面して場所にあります。

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倉敷アイビースクエアは倉敷代官所があった場所で、明治時代後期には代官所跡地に倉敷紡績所(現在の倉敷紡績)が建設されました。
現在はその建物を活用してホテルや美術館などが入居する複合商業施設ですが、倉敷紡績の登記上の本店は当地のまま土地建物自体を所有しているほか、施設運営もグループ会社によって行われています。

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児島虎次郎記念館。

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倉敷記念館。

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アイビー学館。

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ホテル棟。
4棟の宿泊棟を有する宿泊施設。

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中庭風のひろば。
宿泊棟は写真奥(南側)

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愛美工房。

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チャペル。

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井戸。

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倉敷アイビースクエア見聞はここで終了。
再び美観地区を歩いて行きます。

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→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 重要伝統的建造物群保存地区    倉敷美観地区 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅22 倉敷美観地区を行く・その1  

備中松山城と旧城下町を巡った跡は備中高梁駅へ戻って伯備線に乗車します。

備中高梁駅は高梁川の東岸に広がる市街地の中にありますが、備中松山城の山城と御根小屋などの主要部からは南に離れた場所に位置します。

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ここからは213系0番台と共に倉敷へ移動します。

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国鉄末期に導入され瀬戸大橋開通後は快速マリンライナーとして使用されてきた213系も今や岡山地区のローカル輸送に充てられています。
グリーン車が組まれていた編成はローカル輸送転用時にグリーン車が外され、中間車の先頭車化と便所の設置が行われたと同時にワンマン運転対応も施工され2両編成化、モノクラス編成の多くも中間車を抜いた2両編成化とワンマン対応への改造が行われたため、3両編成で残っているのは数編成のみで多くは写真のように2両編成となっています。

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倉敷に到着。
ここでの目的は美観地区への来訪。

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倉敷駅からだと10分ほど歩かされます。

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倉敷公民館。

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中国銀行。

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今橋から南側を撮影。

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同じ場所から北側を撮影。

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今橋を渡って正面が大原美術館。

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夕隣荘

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中橋から南を撮影。

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同じく北側。

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倉敷川の東岸側。

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美観地区南端にある高砂橋から北側を撮影。

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高砂橋を渡って倉敷川西岸側。

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ここには星野仙一記念館があります。

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記念館自体は路地を入った奥まった場所にあります。

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電線自体は電柱・電線地下埋設工事が施工されたため、景観上はスッキリとしています。

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倉敷民藝館。

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倉敷館(観光案内所)

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→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 重要伝統的建造物群保存地区  倉敷美観地区 
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週末日記 2011年6月12日  

2011年6月12日(

私がネットを始めて間もない頃に出入りしていた鉄道ダイヤ研究サイトのメンバーであるMKハーローさんが来阪されるとのことで、12日はそこで知り合った面々が集まることになりました。

ここの面々と会うのは2008年以来3年ぶりなのですが、当時は社会人組・学生組が半々だった面々が現在は殆どが社会人になっていることもあって、実際に参加したのはおぐらさんYOHEIさん、そして私の3人。

朝は8時半頃に自宅を出て鶴橋へ。
鶴橋で朝食をとったあとは難波経由で淀屋橋へ移動。

MKハーローさんが来るのを待っている間に1000系のアイコンショットと車内写真を撮っておきます。
ダイヤ改正の影響によって淀屋橋で車内写真を撮ることが出来るのは朝ぐらいしかありません。

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ところが遅れるというメールがあり、一旦京橋へ移動。
しばらくやっていなかった利用状況の調査をしつつ待っていたのですが、なかなか合流できないため準急で枚方市へ移動。

どうやら数分の差で入れ違いになった感じらしく、調査しながら移動してくるということで、その間撮影タイム。

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ここでようやく10000系の新塗装と車内写真を撮影できました。

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ちょうど良いタイミングで1次車と2次車を撮ることが出来たので手持ち画像が増えましたが、これは1次車と2次車で蛍光灯カバーの有無や冷風吹出し口の変更があるためです。

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ようやく合流。
MKハーローさんとおぐらさんは共に動いていたそうで、ここから3人で調査しつつ京都へ移動。

京都入り後は四条河原町で昼食タイム。

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午後からは阪急京都線の利用状況観察。
特急の停車駅が大幅に拡大したあとの阪急京都線は集中する上位優等に対し、思うように伸びない中間優等の扱いに苦労していると言う結論。

梅田へ戻ってきたときには夕方。
軽くおやつタイムを挟んでから夕べに入るのですが、ここでおぐらさんが搭乗する予定の飛行機の関係で離脱。
入れ替わりにYOHEIさんが合流し阪急東商店街の一角にある居酒屋で夕べとなりました。

夕べが終わると大阪駅へ移動し、JR京都線・神戸線の状況をしばらくの間観察したあとその場で解散となり、そのまま帰宅しました。

category: 日記

tag: オフ会 
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週末日記 2011年6月11日  

2011年6月11日(

11日は午後から京阪電鉄の編成写真撮影に出向いてきました。

今回は森小路ではなく香里園で撮影。

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京都へ移動。
近鉄京都駅の直上には近鉄系のホテルが建設中で、ツインを主体とした宿泊特化型だそうです。

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大阪へ戻って、先週末撮影した高速バスターミナルの一部を再撮影。

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環状線ホームは橋上駅舎の天井部材の取り付けが順次進められています。
基本は連絡橋口コンコースと同じ部材が使用されているようですが、一部は間接照明が採用されています。

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このあとは難波へ寄って買い物をしてから帰宅しました。

category: 日記

tag: 京阪電気鉄道  編成写真  駅改良工事  JR西日本  JR大阪駅 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅21 備中松山城・その7 御根小屋跡  

城見橋公園と中洲公園を巡った跡は御根小屋跡を見てきます。

戦国時代の城は戦に備えるべく山に天守などの主郭部が造られていたのですが、平時においては山頂部に政庁を置くのは大変不都合な面もありました。
そこで多くの城は日常の政務や生活を行う場所を麓において、有事が発生したときのみ山城に立て籠もる形がとられています。
備中松山城もその例に漏れず、小松山の麓に御根小屋と称する備中松山藩の政庁と藩主の居館が江戸時代初期に整備されました。

御根小屋周辺には武家屋敷など建っていましたが、廃城後は売却されて解体。
跡地には旧制高梁中学校が設立され、それが現在の県立高梁高等学校に引き継がれて本校の敷地となっています。

内部には入れないので表から石垣を見てきます。

まずは西向門跡。

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御根小屋石垣西面。
上の建物は有終館と呼ばれる高梁高校の図書館。

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正面奥が御根小屋上中門跡。
現在は高校の正門となっています。

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写真奥のテニスコート入口付近が作事門跡。
階段の下り口付近が下中門跡。

現在はスロープになっていますが、藩庁が置かれていた時代は門前が石段となっていました。

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下中門跡から見る御殿坂。
正面の踏切が伯備線・高梁高校前踏切道。

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踏切を渡って。
下中門跡を撮影。

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そうしていると「やくも号」が通過。

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御根小屋から下の段は武家屋敷跡。

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この辺りは石火矢町ふるさと村のように武家屋敷が残されおらず宅地化されています。
その一角の御殿坂南西側は岡山県高梁日新高等学校(私立高校)があります。

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方谷橋南詰交差点付近から備中松山城がある小松山を撮影。
写真中央に見える手前の山が下太鼓の丸跡がある前山、その直ぐ奥に見えるのが備中松山城の天守がある小松山。

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これで備中高梁での活動は終了。
このあとは伯備線に乗って倉敷へ移動します。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備中松山城 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅20 城見橋公園・中洲公園  

備中松山城の主郭部を見終えて下山します。
鞴峠では土休日限定でシャトルバスが乗入れていますが、スルーして歩いて下りていきます。

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往路とは違って車道の方を使って(遠回りですが・・・)

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高梁市街地。

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しばらく下りて行くと集落が見えてきます。

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城見橋公園への車道は金網と電気柵で囲まれているが、これは臥牛山に生息する猿による獣害対策。

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登り口まで下りてきました。

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登り口の近くに城見橋公園があります。
何度も書きましたが鞴峠の駐車場は14台分しか収容でいないため、利用の多い土休日には110台収容できるこの城見橋公園の駐車場に止めておき、ここから鞴峠までシャトルバスを利用します。

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駐車場は出入口側と奥の2ヶ所が通常使用され、収容しきれない場合はさらに上段のスペースが使用される感じ。

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駐車場から下流側を見る。

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鯉のぼり~。

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では、棚田の間を下りていきます。

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しばらくすると城山トンネルが見えてきます。
ここで中洲(ちゅうしゅう)公園とのT字路がありますが、渋滞を避けるため一方通行が推奨されているため、市街地へはトンネルを抜けて運動公園の脇を抜けて県立高梁高等学校東門付近へ回り道する形となります。

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トンネル前のT字路を西へ下り行くと中洲公園にたどり着きます。

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中洲公園は陽明学者で備中松山藩の執政であった山田方谷の門人の一人である三島中洲にちなんでつけられたもので、中洲が備中松山城の登城口近くに建てた虎口渓舎の跡を公園として整備したものだそうです。

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このあとは麓の御根小屋を見てきます。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備中松山城 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅19 備中松山城・その6  

天守を出て搦め手側などを見てきます。

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本丸東御門。
復元された城門で天守の左脇にあり本丸の勝手口という扱いとなっていますが、本丸で唯一引戸になっています。
これは平時において本丸内に人がいなかったと思われます。

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腕木御門。
本丸の裏門に辺り、ここを出て下りて行くと搦手門跡の前に出ます。

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二重櫓。
南北に出入口を構える二層二階建ての櫓で北は後曲輪、南は天守裏に通じています。

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二重櫓から見た天守裏。

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本丸を出て搦手へ向かいます。
ここは搦手の途中にある腰曲輪。

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本丸石垣東面。

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本丸東御門。
今度は腰曲輪側から。

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腰曲輪から見る搦手門跡。
正面奥の石段を登ると水の手門曲輪と後曲輪跡がある。

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搦手門跡。

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かつてはここから大手御門へ通じる道(犬走り)があったが、現在見る影も無い。

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城外から見る搦手門跡。

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水の手曲輪見る二重櫓と腕木御門。

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水の手門脇曲輪。
この奥に水の手門と十の平櫓跡があり、ここから備中松山城のルーツである大松山の城へ通じているのですが、2010年の豪雨で水の手門脇曲輪と後曲輪の石垣が崩落したため、修復工事が行われています。
このため、2012年春までの復旧完了までは大松山へ行くことができません。

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後曲輪石垣。
豪雨で石垣が崩落した箇所がブルーシートで覆われています。。

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二重櫓側から後曲輪跡と水の手門脇曲輪跡を撮影。

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後曲輪側から見る二重櫓。

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大松山へは行けないのでここから引き返します。

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これで備中松山城の主郭部は終わり。
下山して御根小屋跡を見てきます。

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→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備中松山城 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅18 備中松山城・その5  

備中松山城の天守へ入ります。

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八の平櫓跡。
本来はここから入って渡櫓を経て天守へ入るのですが、これらを復元するには絵図や古写真がないと国の許可が下りないため、更地の状態となっています。

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八の平櫓跡から見る天守。
渡櫓は写真の入口と八の平櫓を結ぶ形で連結されていました。」

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現在の入口は天守地階に張り出す廊下の一部が代用されています。

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天守地階。
ここでスリッパに履き替えて内部に入ります。

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1階。
天守内部は展示物がなく築城からの経緯や3回実施された修復に関するパネルが掲示されています。

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囲炉裏。
天守では異例だそうですが、火気厳禁で実際に使用されたというわけでは無いそうです。

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一段高い場所にある部屋へ。

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ここは装束の間。
籠城時における城主の居室で、床下に隙間無く石を詰めて忍びの者でも進入できないように工夫されています。
また、ここは戦いに敗れ落城したときに城主一家の死に場所として部屋でもあるそうです。

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装束の間から見る搦め手側。
写真の櫓は腕木御門と二重櫓。

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急な階段を上って2階へ。

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天守最上階は御社壇がある。

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最上階から見る眺め。

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天守の内部はこれで終わり。
次は本丸裏側の門と櫓、搦め手側などを見てきます。

→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅17 備中松山城・その4  

備中松山城本丸に入ります。

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これまで触れた通り臥牛山は猿の生息地なのですが、城の建造物などが破壊される被害があったことから、獣害対策として1997年に復元された土塀に電気柵を設けて本丸内へ進入を防いでいる。

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本丸南門御門前の窓口で入城券を購入。

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来場者に対し窓口の方の「よく参れた」と声をかけられるのはある意味新鮮です。
確かに標高430mの場所にありますからそうなるのかも知れませんが、多くは車で来訪されることが多いので「下から登ってきた」という私発言には流石に驚かれた様子でした。

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本丸南御門から見る備中松山城本丸。
周囲の土塀は1997年の復元工事により復元されたもの。

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五の平櫓。

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六の平櫓。
五の平櫓と本丸南御門・路地門・土塀と共に1997年に復元されたもの。

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七の平櫓跡。

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こちらは復元されずそのままとなっている。

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正面から見る備中松山城天守。

山頂の岩盤の上に天守台を置いてさらに二階二層の天守が立っていますが、現存天守の中では最も小さな天守であり、最も高い場所に建ている天守でもあります。

そのことが廃城後も解体を免れた理由でもあります。

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このあとは天守の内部に入ります。

→次に続く。

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週末日記 2011年6月4日~6月5日  

2011年6月4日(

この日は午後の遅くに外出。
京阪で京都まで出てふらふらとしてきたのですが、道中は爆睡・・・。

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大阪駅へ。
大阪ステーションシティはグランドオープンしましたが、駅の改良工事自体はまだ。

現状は橋上駅舎直下の工事が続けられて一部が姿を現してますが、ここの照明類はLEDを採用するようです。

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また、ノースゲートビルディング1Fにバスターミナルが新設されてJRバス系の高速バスと阪急バス加島線、大阪市営バス(一部路線の降り場)がこの場所へ集約されました。

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新設のバスターミナルについては動画撮影してますので詳細はこちらを参考に。



大阪駅北地区の再開発事業エリアの交通広場の様子。
まだ更地段階ですが背後のビル群の工事が順次着手されています。

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ノースゲートビルディング2F出入口と立体駐車場を結ぶ通路は旧11番線ホームが保存される形で活用されています。

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帰宅後は撮影した大阪駅JR高速バスターミナルの動画編集。
他のことをやりつつ片手間にやったので徹夜状態になってしまいました・・・汗。


2011年6月5日(

5日は14時過ぎまで爆睡。
起きてからは昼食の買い出しと散髪のため外出。

帰宅後は自宅の地デジ対応の準備でHDDレコーダーに溜めていたものをDVDへ移行作業に明け暮れてこの週末が過ぎてしまいました。

category: 日記

tag: JR西日本  駅改良工事  大阪駅  大阪ステーションシティ  大阪駅JRバスターミナル  高速バス 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅16 備中松山城・その3  

それでは、備中松山城の主郭部を見てきます。

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三の丸跡。

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厩曲輪石垣南面から三の丸跡を撮影。
右側のベンチがある辺りが足軽番所跡、大手門に近接する正面奥が上番所跡。

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三の平櫓跡。

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三の平櫓跡に隣接して建てられていた路地門跡。

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一段上の厩曲輪へ登ります。

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黒門跡。

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黒門に隣接する四の平櫓跡。

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四の平櫓跡の反対側に位置する厩門跡。
厩門自体は簡易な高麗門形式でした。

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その先が厩曲輪。

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厩曲輪から三の丸を望む。

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四の平櫓跡より一段高い場所に位置する御膳棚跡。
この場所は便所が設けられています。

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では二の丸跡へ。

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鉄門跡。
二の櫓門とも呼ばれています。

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鉄門礎石に建つ石碑。

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二の丸跡。

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この場所は中国自然歩道のルート上にあるためベンチとテーブルが置かれて休憩場所となっています。
また、当時の二の丸は鉄門以外に大きな櫓がなく土塀で囲まれていたそうです。

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このあとは本丸へ入ります。

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→次に続く。

category: 中国地方遠征

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅15 備中松山城・その2  

鞴峠駐車場から備中松山城の主郭部に向けて登城道を登っていきます。

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駐車場を出て直ぐ近くにある合流点。
左がさっき登ってきた道、右が備中松山城と大松山への道。

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合流点から右に入るとしばらくして上り坂になります。

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急な石段を登った先に。

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整備されたらしき石垣。

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と思ったら展望台。

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その直ぐ背後にあるのが中太鼓の丸跡。

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先端に櫓を有し天守のある小松山と下太鼓の丸との中間点に位置する中太鼓の丸は防衛の要と共に通信の中継点として位置づけられていました。

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中太鼓の丸からさらに奥へと進み、再び石段を登ります。

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しばらくすると主郭部のものと思われる石垣が見えてきます。

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ようやく主郭部の入口となる大手門跡に到着。

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大手門跡の後方にそそり立つ巨岩と、その上に載る厩曲輪石垣。

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圧巻ではあるのですが、巨岩の上に乗る厩曲輪石垣が変形していることから詳細な調査が行われた結果、巨岩の割れ目に樹木が貫入しそれが成長したため、割れ目が次第に大きくなっているのと同時に巨岩の上に載る石垣の重みで岩のズレを生じていることが判明。

ここままでは崩落の危険があることからこれらを中心に各種センサーが設けられて継続的な監視が続けてられているそうです。

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大手門の枡形虎口。
虎口内には足軽箱番所が置かれていました。

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手前が大手櫓跡、奥が二の平櫓跡。

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大手門は櫓門を渡す形で建てられていました。

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このあとは備中松山城の主郭部を三の丸跡から順に見てきます。

→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅14 備中松山城・その1  

旧城下町巡りを一旦終了し、小松山山頂にある備中松山城へ向かいます。

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御根小屋跡南面にある坂道を登ります。

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道なりに進むと写真のような三叉路に出てきます。
この付近は御根小屋跡南東側に位置し現在は県立高梁高等学校の東門が左側の橋を渡って直ぐの場所にあります。

この先は道路が狭いため土休日利用できる臨時駐車場がある城見橋公園へ向かう車は中央の道を川沿いに進み、復路はトンネルを経て右手から出てきます。
城山への登山道は中央の道を進んだ川沿いに登山口があるのでそちらへ入ります。

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しばらく登ると櫓台のような石垣が見えてきます。

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この近くの橋を渡って登山口へと進みます。

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石垣からの眺め。
奥に広がるのが高梁市街地。

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それでは登山道を進みます。
この登山道は中国自然歩道の一つ吉備高原を横断するルートの一部となっています。

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臥牛山一体はニホンザルの生息地ですが、計画的な獣害対策である程度棲み分けられているとのことです。

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鞴峠駐車場までをショートカットする形で登るため、途中から急な坂道になります。

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大石良雄腰掛け。

一般には大石内蔵助として知られる大石良雄が1694年に備中松山藩の藩主だった水谷家の跡継ぎが居なくなりお家断絶で改易されることになったから、主君である浅野長矩(浅野内匠頭)と共に収城使として備中松山入りし、鶴見内蔵助の交渉により無血開城されました。
その後は浅野長矩は赤穂へ戻りましたが、安藤重博が藩主として入城するまで大石良雄が城番として当地に留まったのだそうです。

写真の岩は在藩中に城の調査などで登城した際、この岩に腰を掛けて休息したとされています。

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さらに登ると上から声が聞こえてきます。
どうやら鞴峠の駐車場が近いようです。

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左手上方から備中松山城への登城道が合流して階段を数段上ると・・・。

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鞴峠駐車場に到着。
この場所は車で来場する人向けの登山口になっていて、14台分の駐車スペースと小さな休憩所があるのですが、臥牛山東麓にある城見橋公園に110台の駐車スペースが用意されていることから、来訪者が多い行楽シーズンや土休日はここを閉鎖して城見橋公園の駐車場とを結ぶシャトルバスが運行されます(乗車券は城見橋公園で購入、往復300円)

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一般車はここ鞴峠駐車場までですが、道路自体は一般車進入禁止の管理専用道扱いで中太鼓の丸付近まで続いています。

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この場所は中太鼓の丸と下太鼓の丸跡の間にあり、臥牛山の前山山頂にある下太鼓の丸跡へは写真左側に見える階段を登ると行くことができます。

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道なりに進むと下太鼓の丸跡にたどり着きます。

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標高320mの前山山頂に位置する下太鼓の丸跡は西麓の御根小屋と小松山山頂の本丸との中間点に位置し、尾根伝いに4段で構成された曲輪跡には入母屋造りの下太鼓櫓が建てられていたそうですが、火災で焼け落ちたとされています。

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櫓跡。

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貯水のために用意されたと思われる石組みの跡

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下太鼓の丸最上段全体。

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下太鼓の丸最上段からの眺め。

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下太鼓の丸の中段から下は今ひとつ整備されていないようで、パスしました。

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このあとは駐車場からの登城道を通って本丸を目指します。

→次に続く。

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