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2009年12月の記事一覧

2009年の個人的活動を総括する  

2009年ももうすぐ終わりです。

2009年も遠征に明け暮れた年でしたが、乗りつぶしがあと数路線と落ち着き始めたところなので、この年から日本城郭協会に選定されている日本100名城を巡ることが加わりました。

2009年の主な遠征

1月4日 名古屋(編成写真撮影)
1月11日~12日 首都圏(乗りつぶし・編成写真)
1月24日~25日 千葉(乗りつぶし・編成写真)
2月8日 東京・横浜(鉄道イベント・編成写真)
4月29日 福井(鉄道イベント・編成写真・城廻)
5月2日~5月6日 東海・首都圏(城廻・乗りつぶし・編成写真)
6月14日 中京圏(城廻・編成写真)
6月20日~6月21日 熊本・佐賀(鉄道イベント・編成写真・城廻)
7月18日~7月20日 首都圏(編成写真・乗りつぶし)
8月12日~8月16日 東北地方(城廻・編成写真)
8月29日 静岡県北西部(鉄道イベント)
9月6日 彦根(城廻)
9月19日~9月23日 東海地方(城廻・乗りつぶし・編成写真)
9月27日 伊賀地方(城廻・編成写真)
10月4日 丹波篠山(城廻・編成写真)
10月11日~10月12日 南信・甲斐(城廻)
10月17日~10月18日 越後・仙台・首都圏(城廻・鉄道イベント・編成写真)
11月21日~11月23日 首都圏(編成写真・乗りつぶし・鉄道イベント)

はダイジェスト版を週末日記を参照(関西圏内のため詳細版執筆対象外)


2009年に乗りつぶした路線(全区間乗車済みとした路線)
北海道地方
 2007年に完乗
東北地方
 八戸線(一部のみ)気仙沼線・大船渡線(一部のみ)
関東地方
 吾妻線・都営地下鉄大江戸線・
甲信越地方
 なし
東海地方
 大井川鐵道・伊豆箱根鉄道駿豆線・長良川鉄道・樽見鉄道・明知鉄道
北陸地方
 なし
関西地方
 なし
中国地方
 2008年に完乗
四国地方
 2007年に完乗
九州地方
 なし

今年は東海地方が完乗となり、残るは沖縄1・関西1・北陸1・関東1・信越1・東北6となりました。
来年も乗りつぶしたは続きますが、難儀な路線ばかりになってきました・・・。


2009年に登城した城郭・環濠など
北海道地方
 なし
東北地方
 白河小峰城・二本松城・山形城・米沢城・久保田城・八戸根城・多賀城・仙台城
関東地方
 小田原城・八王子城
甲信越地方
 高遠城・甲府城・武田氏館(躑躅ヶ崎館)・新発田城
東海地方
 掛川城・駿府城・箱根山中城・犬山城・岡崎城・長篠城・岐阜城・郡上八幡城・大垣城・美濃松尾山城・岩村城・名古屋城・清洲城
北陸地方
 越前丸岡城
関西地方
 明石城・彦根城・淀城・伊賀上野城・赤穂城
中国地方
 なし
四国地方
 なし
九州地方
 熊本城・吉野ヶ里遺跡

は日本城郭協会の「日本100名城」選定外の城郭

これまでの登城実績:44(うち日本100名城選定の城郭:38)。
北海道:0(0)|東北:9(8)|関東:2(2)|甲信越:7(7)|東海:13(9)|北陸:1(1)|関西:8(7)|中国地方:0(0)|四国:1(1)|九州:3(3)

2009年は休みが日曜のみであった3月と自室の片付けと体調不良だった12月が遠征無しでしたが、それ以外は何らかの遠征をしています。
結果的には2008年よりは若干少なく、半数は日帰り遠征です。
(連泊遠征10回、日帰り遠征6回)

以上です。
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category: その他

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年末日記 2009年12月29日~12月31日  

2009年12月29日(火)

仕事納めの翌日である29日は昼食を調達しにコンビニへ出掛けた以外は自室に籠もって雑誌類の片付け。

今月の週末夜間を中心に片付けているのですが、鉄道雑誌類は鉄道ピクトリアルの私鉄特集号と鉄道車両年鑑以外はサイトの資料としては使い道がないのと、冊数自体は20数冊程度あっさりと捨ててしまいます。

問題はコミックの方で、こちらはここ2~3年気になって集めていた連載ものが多かったので結構溜まっていました。
先週までに半分ほど捨てたのですが、年明け以降も地道に片付けないと駄目ですね。


2009年12月30日(水)

30日は自室の掃除を午前中で済ませ、午後からは年始更新予定に向けてサイトの更新準備を進めました。

旧サイト時代に公開していたのを現行サイトのフォーマットに仕立て直しているところですが、鉄道車両系の情報が旧サイト公開時から数年経過している影響で、再アップするに際して大幅な修正が必要となっているので確認・修正作業する量が増えてしまってます。

2009年12月31日(木)

大晦日は終日自宅に籠もってサイトの更新準備。

夕方からはTV特番巡り(用はchをコロコロと変えるのですが・・・)しつつサイトの更新準備を。
毎年年末は殆どつまみ食い的に見てますが、紅白が食傷気味なので他局を見るのが主軸になってきてます。

紅白は例の人が登場したところだけへちゃんと見ました。
テレビ朝日系も対向して人を出してきてますが、ここを充ててるところが良いところです。
日本テレビ系は大晦日恒例となりつつある「笑ってはいけないシリーズ」で、送り込まれる刺客には笑わしてくれますが、最後の最後にそれを持ってくるか~と言うのが感想でした。
(たぶん再放送があると思いますから見てみよう~っと)

テレビに向かって爆笑しながら2009年を終えることになりました。

category: 日記

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週末日記 2009年12月26日~12月27日  

2009年12月26日(

26日は終日自宅。
夜明けまで起きていたので、何度か目が覚めたものの起きたのは夕方6時・・・。
結局、一日中を無駄にしてしまいました・・・。

起きてからはブログに残っている暫定版状態の記事を本文追加で更新し直して、そのあとは年始の更新に向けたサイトの準備作業に追われてこの日は終わりました。

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2009年12月27日(

日曜日である27日はJR奈良駅の高架工事と大阪駅の駅改良工事の見聞のため出掛けてきました。

その序でに駅前広場の整備事業が行われている田原本駅・西田原本駅の様子を確認するため王寺・田原本線経由で寄ってきました。

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橿原線・田原本駅と田原本線・西田原本駅とは200mほど離れているのですが、駅前広場はその間に整備されるもので、西側にある幹線道路と接続するもので、これに関連して田原本駅には新たに西口が設けられることになりました。

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今年12月上旬から供用が開始されている田原本駅の西口駅舎。
これはかつて橿原線の駅と田原本線の駅の両者を統合し利用者の利便性を向上させる計画があり、地元商店街がそれに反対したことへの妥協案の様な格好という印象も拭えません。

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田原本から近鉄郡山へ移動し、近鉄郡山から大和路線郡山駅まで歩いて向かいました。
大和路線の郡山駅から乗るのは今回が初めて。

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来年3月に桜井線の切替工事を控えたJR奈良駅は桜井線ホームの工事が佳境に入っていて、現状は電気工事や付帯設備の工事が進められています。

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また、西口に改札が1階に移設されましたが、2階のコンコース北側の柱と天井が特徴的なものになっています。

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全区間の7両編成化に向けて4両→7両へのホーム延伸工事が進められている学研都市線では木津駅の学研都市線のりばに7両編成の停止位置目標が設けられていました。
標自体は真新しいのですが、土台は何かを流用したもののようです。

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学研都市線を走破して京橋乗換えで大阪駅へ。
今月20日から供用が開始されている新11番のりばの見聞をしてきました。

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新北ビル南側の直下になる格好となってますが、これまでの島式ホームをベースにしているため旧11番のりばよりも広々としている感じです。

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このあと旭屋書店で鉄道ピクトリアルの小田急特集号を買って帰宅しました。

category: 日記

tag: 近畿日本鉄道  田原本線  駅前広場整備事業  西田原本駅  田原本駅  JR西日本  連続立体交差事業  JR奈良駅  輸送力増強工事  学研都市線 
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年末年始の更新予定について(2009年~2010年)  

年末年始の更新についてお知らせします。

・ブログ「DK-Kawachiの日記と雑学ノート」
通常の更新は12月27日更新予定の週末日記でお休みに入り、年明け1月3日の「年始日記」から再開します。
この間の更新は12月31日に「年末日記」「2009年の遠征を総括」を1月1日に「新年の挨拶」をアップする予定です。

・サイト「DK-Report」
http://dkkawachi.web.fc2.com/
今年で5年目を迎えたサイトはここ数年は月一回の更新ペースですが、12月の更新予定はありません。
来年2月で6年目を迎える年明けの更新は1月1日と1月4日の予定です。

・Twitter
http://twitter.com/dk_kawachi_jp
こちらは通常通り随時更新します。

以上です。

category: サイト更新情報とお知らせ

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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅30 関ヶ原古戦場・その5  

松尾山山頂に到着しました。
ここは小早川秀秋が陣を構えていた場所で、美濃松尾城跡を活用したとされています。

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この場所から関ヶ原古戦場を一望出来ます。
これまで見た陣跡よりも見る範囲は格段に違いますが、思っている以上に実際の古戦場から遠くにあります。

これに関しては小早川秀秋が臆病者であったという説や、実は当初から参戦する意志がなく傍観するつもりだったのではないかと言う説もあります。

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山頂のベンチで呼吸を整えてから下山します。
日没を迎えていることもあって林道は暗くなってきたことから携帯していたLED式懐中電灯をぶら下げて下山して言います。

登山口へ戻った頃にはご覧の通り。

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杖を返却して関ヶ原駅へ向かいます。

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関ヶ原駅に着いた時には真っ暗。
松尾山の登山口からは35分掛りました。

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岐阜駅へ戻ってから夕食タイム。
昼食をとっていなかったのでお腹はペコペコですが、それ以前にヘロヘロです。

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鞄を回収して遠征後半の宿泊地である名古屋へ向かいますが、名古屋まではしばらくぶりの名鉄で。
20:00過ぎで人も疎らだったことから折り返し待ちの車内は無人である車両が多かったので、サイト用の素材としていくつか車内写真を撮っておきました。

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名古屋からは特急の特別席に乗ったのですが、岐阜から名古屋まで乗っていたのは私だけで、あと2人ほどが途中駅間の利用でした。

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名古屋に到着。

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遠征3日目の予定はこれで終了。
このあとはホテルへ向かい4日目を迎えます。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 関ヶ原古戦場  名古屋鉄道  ミューチケット 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅29 関ヶ原古戦場・その4  

関ヶ原古戦場埋めぐりの締めくくりとして小早川秀秋の陣跡へ向かうのですが、その前にお遊び的ショットを・・・。

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小早川秀秋陣跡は関ヶ原の南側にある松尾山にあります。
元はこの場所に南北朝時代に建てられた美濃松尾城跡(松尾山城とも呼ばれる)があったそうで、陣跡は山頂付近にある城跡を利用して布陣したのでそうです。

ここへ登るのですが、思っている以上に遠くにある感じで、山頂付近にある旗がチョンとある感じです。

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東海道線の跨線橋を越えて市街地の南側に出するとすぐ近くを通る国道を渡ります。

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国道を渡って市街地をさらに南進すると東海道新幹線の高架橋が見えてきます。

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東海道新幹線高架橋の南側はご覧の様子。

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上の写真の場所は西側に水田があり、ここから東海道新幹線を北に名神自動車道を南に見ることが出来ます。

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名神自動車道のガード下を潜ってすぐ右手に曲がると脇坂安治陣跡がありますが、日没まで時間がありませんのでパスして川沿いの農道を進みます。

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駐車場が見えてくると松尾山の登山口に到着です。

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松尾山の登山道は山頂の松尾山城との由来から城山林道として整備されていますが、東海自然歩道の一部として組み込まれています林道となっています。

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登山口にはハイカーや観光客向けに杖が備え付けられています。

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17:04に登山口を出発。
松尾山山頂を目指します。

登山口から10分ほどして最初の分岐点が見えてきます、この写真だと松尾山は右側へ。

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1~2分ほどで2つ目の分岐点に到着。
ここ分岐点は松尾山山頂へ向かう道と山頂を避ける道で、いずれも山を挟んで反対側にある今須の集落に通じています。
ここでも松尾山山頂へ向かう右側の道を行きます。

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ここから先は尾根をいくつか越えるためアップダウンが激しくなります。
この辺りから山頂付近は松尾山城跡であることから曲輪跡が見られるようですが、確認する余裕がないまま先を急ぎます。

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17:27 登山口をスタートして23分で小早川秀秋陣跡がある松尾山山頂に到着。
通常は片道40分と案内されているのを6割の時間で駆け抜けたことになりますが、結構きつかったです。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 関ヶ原古戦場  日本の城郭  美濃松尾城 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅28 関ヶ原古戦場・その3  

丸山を下りて各武将の陣跡と開戦地などを巡ってきます。
今回は日没までの時間の関係から西軍側の陣跡をメインに巡ってみました。

まずは島津義弘陣跡。
写真はその東側にある駐車場と神明神社で、陣跡は右側の道を奥へと進んだ先にあります。

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神明神社の裏手に当たる場所にある島津義弘陣跡に到着。

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薩摩の大名である島津義弘は小早川隊の裏切りによる総崩れで東軍に囲まれ切腹を覚悟したものの、甥の島津豊久の説得により東軍がいる真っ直中を的中突破し伊勢街道を経て薩摩へ逃げ延びたといいます。

薩摩へ逃げ延びたあとは防備を固める一方、家康との講和のため敵であった井伊直政に依頼するなどにより処分を逃れています。
それが家康にとって心残りであったとされていたのですが、家康の死後250年後に現実のものになってしまったといわれています。

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島津義弘の陣地からは数100m先には開戦地が。

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島津義弘陣跡から1分の距離にある開戦地。

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開戦地から島津義弘陣跡を望みます。

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開戦地には西田運動広場の入口に碑が設けられていますが、史跡指定当初はこの場所から南へ200m離れた場所に指定されていたそうです。

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開戦地西側の最も近い場所にある小西行長陣跡。
小西行長はキリシタン大名であったため自決も出来ず逃走したものの、伊吹山の山中で捉えられ京都の六条河原で石田三成と共に斬首されています。

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次は小早川秀秋陣跡がある松尾山へ向かいます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 関ヶ原古戦場 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅27 関ヶ原古戦場・その2  

決戦地の背後にある笹尾山に構えた石田三成陣跡へ向かいます。

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西軍大将である石田三成は笹尾山に竹矢来を二重に田の中に囲い、前面に島左近を頂上と麓の中間辺りに蒲生郷舎を配し、自身は山頂で指揮をとったとされています。

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では陣跡へ。

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二重に張り巡らせた竹矢来のうち写真のものは前面にあるもの。

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後方の竹矢来から山頂に向かっては急斜面を登っていきます。

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備え付けの杖を頼りに登ること3分で山頂へ到着。

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山頂には物見台が設けられ関ヶ原一体を望むことが出来ます。

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現状は立ち木で遮られていますが、決戦地が山の麓であることからもかなり追い詰められたと言われてます。

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石田三成陣跡から東へ移動して黒田長政・竹中重門が陣を構えた丸山烽火場へ。

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丸山烽火場は東軍の烽火場とした場所です。

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烽火再現の横断幕が掲げられています。
イベントで烽火を上げるのでしょうか?

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この場所も関ヶ原一帯が一望出来ます。

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このあとは各武将の陣跡を巡ります。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 関ヶ原古戦場 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅26 関ヶ原古戦場・その1  

大垣城を見た後は関ヶ原古戦場を巡るため関ヶ原へ移動します。

ここで乗ったのは117系。
JR東海の117系はあと数年すると引退するのは確実です。

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垂井を過ぎた辺りから延々と上り勾配が続きますが、淀川水系の水源である琵琶湖畔に位置する米原と濃尾平野の北西に位置する大垣の標高差があるためで、いわゆる関ヶ原越えとも呼ばれる区間です。
(走行区間の地形上理由で岐阜県側は勾配が急で、滋賀県側は盆地であるため勾配が緩い)

南北に山が迫り、南側を東海道新幹線と名神自動車道が時折顔を覗かせながら進むと関ヶ原越えの勾配緩和で北側へ迂回していた下り本線が合流してくると関ヶ原駅に到着。

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天下分け目の関ヶ原と言われた古戦場には駅構内にこの用は看板が・・・。

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関ヶ原駅の構内は2面4線。

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駅舎はローカル駅としては標準的な規模のものです。

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まずは関ヶ原歴史民族資料館へ。

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ここは中山道の宿場町である関ヶ原の歴史し関する事柄や資料が展示されていますが、メインは関ヶ原の戦い関連の展示物が多く占めています。

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資料館で頂いた「ザ・ウォークマップ」を元に古戦場を巡ってきます。

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先ずは田中吉政陣跡。
本戦後は伊吹山山中を逃走中の石田三成を捕縛したことから、後に筑後柳川藩の藩主になっています。

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田中吉政陣跡のすぐ近くにある徳川家康最終陣跡。
戦いがたけなわになった頃に家康が桃配山(ももくばりやま)から本陣を移動した場所で、戦いのあと部下が取って帰ってきた敵の首を家康が確認する首実験が行った場所でもあります。

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現在ある土塁や高台は1840年代に幕府の名により造られたものだそうです。

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笹尾山の麓にある決戦地です。

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周囲は田んぼに囲まれたこの場所の戦いは激戦だったと言われています。

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お次は決戦地の背後にある石田三成陣跡(笹尾山)へ向かいます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: JR東海  関ヶ原古戦場 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅25 大垣城・その2  

下の写真は大垣城の本丸の概略図です。

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二ノ丸に通じる鉄門跡

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鉄門から本丸寄りにある七間多聞跡。
鉄門と七間多聞の間は帯曲輪。

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西門。
東門と同じく城跡の整備により設けられた門で本来は籏長柄多聞が続いている。

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戸田 氏鉄(とだ うじかね)の騎馬像。
1685年から廃藩置県までを代々続く大垣藩藩主を戸田家が務めた初代藩主となった人物で、島原の乱での軍功により大垣藩の藩主となった人物です。

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戌亥櫓。

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戌亥櫓の隣にある水の手門跡。
帯曲輪北西側に位置する。

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東狸門跡。

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辰巳櫓跡。

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これで大垣城観覧は終わり。
大垣駅へ戻って関ヶ原古戦場へ移動します。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本の城郭  大垣城 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅24 大垣城・その1  

樽見鉄道乗りつぶしの次は大垣城へ登城してきます。

大垣城へは大垣駅南口正面の県道57号線を南へ進み下の写真の石碑を西へ入ったところにあります。

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出迎えてくれるのは東門。
下の写真を撮影した辺りは中堀があった

東門は柳口門を移設したのもので、当時この場所には門が無く櫓から続く城壁と大小姓多聞があるだけでした。
東門の隣にあるのは宗門続多聞櫓と丑寅櫓、この角度からは見えませんが丑寅櫓の隣で帯曲輪北側に面する場所に先手武具多聞があり、こちらは当時と同じ場所に復元されたものです。

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当時の大垣城絵図面を複写した案内図。
江戸時代初期のもので島原の乱が頃に描かれたもの。

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往時の大垣城の総構えはもっと大規模でしたが、平山城だったため廃城後本丸以外は全て市街地になってしまいました。
本丸も火災や戦災などで消失し、現在ある天守や櫓などは再建されたもの多く占めます。

写真は本丸外側にある帯曲輪。

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天守は以外と小さく、観覧のための入口(東附多聞)は手狭な印象です。
天守の観覧料金は100円。

天守内部は資料館として公開されていて、関ヶ原の戦いに纏わるムービーも公開されています。

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大垣城の天守は廃城後も破脚を逃れて国宝にもなったのですが、1945年の空襲により消失。
現在の天守は1959年に鉄筋コンクリート造りの外観復元によるものです。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本の城郭  大垣城 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅23 樽見鉄道・その2  

谷汲口へ戻ってきました。
次の樽見行きまでは40分以上の待ちです。

谷汲口駅は樽見方が旧ホーム、大垣方が延伸された新ホームが1つのホームとして構成されているのですが、かつて1面2線だったことが旧ホームの構造で確認出来ます。

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旧ホーム側には樽見鉄道で使用されていたオハフ33形が保存されています。

この車両は樽見鉄道開業時に1984年と89年に計4両譲渡され、同鉄道ではオハフ500形と称されていましたが、50系客車と12系客車がJR四国とJR東海から譲渡されると廃車されました。
写真の車両はオハフ502で、国鉄時代はオハフ33 1527です。

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大垣方の様子を撮影したものですが、廃止された名鉄谷汲線は正面の山の麓を走行していました。

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待っている間に大垣行きが先に入線。
お遊び程度にワンショット。

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30分後、樽見行きが到着。
これに乗って終点まで一気に乗りつぶします。

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木曽川水系根尾川に沿って北上します。

利用状況はロングシートが満席という状態で沿線は集落単位に駅がある感じですが、中には駅前に集合住宅がある駅まであり若干名ほどの乗降が見られます。
根尾川の渓谷を見つつ終始のんびりモードで進み、根尾谷断層が走る水鳥駅を過ぎ、板所トンネルを抜けて市街地が広がると主点の樽見に到着。

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末端部は十数mほどあり客車列車の機関車の付け替えで使用されていました。

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旧根尾村の中心である樽見地区に位置する樽見駅は2007年4月に発生した不審火による火災で古民家風の屋根を持つ駅舎が全焼し、2008年4月に現在の「うすずみふれあいプラザ」が建てられています。

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折り返し大垣行きに乗車したのですが、これも本巣で乗換え・・・。

大垣に到着後、降車時に樽見鉄道内の運賃収受済みであることを証明する降車駅証明が手渡されます。
樽見鉄道の降車駅証明は自動改札機対応のものとなっています。

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この後は大垣城へ向かいます。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 樽見鉄道 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅22 旧名鉄谷汲駅・その3  

旧谷汲駅構内に静態保存されている車両を見てきます。

現在谷汲駅に保存されている車両は鉄道線専用車のモ750形と美濃電気軌道時代からある軌道線直通車で丸窓電車のモ510形が1両ずつ保存されています。
当初は車両直上に屋根が無く雨晒し状態でしたが、静態保存でのそれは宜しくなかったらしく後に車両を覆う屋根が設置されています。

まずはモ750形。

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旧・名古屋鉄道時代にデセホ700形の増備車として1928年に日本車輌製造で製作された車両で当初はデセホ750形と称され、当時名古屋市電にも乗り入れるために集電装置が鉄道線用のパンタグラフと市電用のポールを両方搭載した車両でもありました。

その後、名岐鉄道に改称された後、さらに愛知電気鉄道の合併されて再び名古屋鉄道に改称された時にモ750形に改番。しばらくは名古屋本線系統で使用されていましたが後年1500Vへの昇圧が進み始めると支線区へ追いやられ、岐阜へ転用される直前は瀬戸線などで使用されていた車両もありました。

岐阜600V区間へ追いやられた後は鉄道線の揖斐線・谷汲線で使用されていましたが、老朽化によりモ780形が導入され始めると揖斐線の末端区間である黒野~本揖斐と谷汲線に封じられる形で使用され、2002年に同区間が廃止されたのと同時に廃車されました。

谷汲駅に保存されている車両は755号車。
谷汲線廃止後に静態保存された車両で、名岐鉄道に高山本線直通列車としてお座敷仕様に改造された経緯を持っています。

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モ750形755号車の車内です。
晩年当時のものでワンマン運転のため整理券発行機が設置されています。

揖斐線・谷汲線へ転用するに際し車体の改修などが実施されているため、車齢80年以上を考えると綺麗に整備されているのが窺えます。

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名古屋市電乗入れ用として導入された経緯からステップがあります。
揖斐線や谷汲線も鉄道線ですが、ホーム高さが低いためドアステップは必携だったようです。

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運転席背後の仕切に掲示されている新岐阜駅前~揖斐線・谷汲線の旅客運賃表。
岐阜から本揖斐まで610円、同じく谷汲まで710円ですが、これは忠節以東の岐阜市内線が均一運賃でこれを合算する形となっているためで、運賃施策上では不利に働く要因となっていたようです。

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運転台。
やはり路面電車の運転台ですね。

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続いてモ510形。

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美濃電気軌道時代に製作された車両で1926年に日本車輌製造で製作された車両は当初セミボ510形と称し、現在の岐阜~笠松の鉄道線で使用されていました。

岐阜へ路線網を広げていた名岐鉄道に吸収されて以降は美濃町線の転用され、1967年に岐阜市内線~揖斐線の直通運転が開始されると直通列車用の車両として使用されるなどその車齢とは裏腹に急行列車での高速運転もされていました。

車体構造と車齢の高さから非冷房のままであったため、モ770形やモ780形の導入が始まると定期運用から撤退し予備車として残存したものの2005年3月末の岐阜600V区間全廃により廃車となりました。

モ510形はその特徴ある車体から岐阜県内を中心に保存され、旧美濃駅・金(こがね)公園・旧谷汲駅で保存されているものは足回りも残されています。
ただし、旧美濃駅に保存されているものは座席が撤去されてギャラリースペースに、金公園のものは外観のみ見られますが車内はイベント開催時を除いて立ち入ることが出来ないようになっています。

谷汲駅に保存されているモ510形は514号車。

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谷汲駅に保存されている514号車は座席が残されていて、車内も公開されています。
1+2列の座席配置は車両中央部を境に逆転します。

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クロスシートは転換式。

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特徴的な丸窓は戸袋窓にあります。

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運転台背後。
前面形状も特徴があるのが車内側からも確認出来ます。

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最近整備されたのか?車掌スイッチが真新しくなっています。
保存車両の手入れが行き届いている証です。

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運転台。
前面形状の関係が前面のRに沿って機器が配置されています。

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これで谷汲駅の見学は終了。
滞在時間は30分ほどで折り返し谷汲口行きのバスに乗って樽見鉄道の乗りつぶしを再開します。

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→次に続く。

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2009年12月13日 学研都市線ホーム延伸工事4-2  

祝園駅を見に行った序でに隣の下狛駅も見てきたので報告しておきます。
前回来訪時は未着手だったのですが、今回来訪するまでに着手されたようです。

工事自体は大掛かりなものでは無さそうで、基本的に木津方へ3両分延伸させるようです。

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下狛駅木津方の写真。

現状は細長いホームの中央と木津方に出入口があり工事自体はこの先から着手されていますが、ここままだと駅の出入口が支障となってしまいます。

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駅出入口にはICカード対応の簡易改札口があり、それを守るように簡易な屋根が設けられています。
ホーム延伸に際しては支障の可能性があることから移設するなどの可能性も考えられますが、今のところ特に動きがないようです。

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駅出入口より南側では工事が着手されていますが、来訪時点では既に基礎工事が進められています。

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今回のレポは以上です。

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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅21 旧名鉄谷汲駅・その2  

谷汲駅改札内コンコースへ入ります。

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ホームは廃止当時の状態をほぼ保っているように見受けられるのですが、休憩場所としてベンチが設置されているほか、車椅子が入れるようにスロープが設けられています。

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谷汲駅の駅名標。
廃止当時のものであるかどうかは判りませんが・・・。

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谷汲駅に静態保存されている車両。
鉄道線専用のモ750形(755号車)

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軌道線である岐阜市内線に乗り入れることが出来るモ510形(514号車)

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ホーム端部からの撮影。

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黒野方を撮影。
軌道は駅構内分だけ残されている感じです。

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その先は軌道が途切れて更地化されています。
一部は何らかの形で利用される話があるそうですが、跡地が何に利用されるのかは分りません。

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この後は静態保存されている車両を見てきます。

→次に続く。

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2009年12月13日 学研都市線ホーム延伸工事4-1  

学研都市線全列車7両編成化に向けてホーム延伸工事が行われているのですが、それに連動して祝園駅では構内改良工事が行われています。

今回、その改良工事の進捗に伴い2009年11月21日始発から上り(木津方面行き)ホームが切り替わったことを知り、12月13日に現地へ出向いてきました。

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これまで使用停止されて一部撤去されていた中線側に軌道が新設される形となっています。
切替によりこれまでの上り線の軌道は既に撤去されています

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木津方は上り出発信号機が切替えられていますが、分岐器などの交換は実施されておらず、既存の物を上手く活用している感じとなっています。

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下り(京橋方面行き)ホームから撮影したもの。
今回の切替で上り列車の停車位置が新設ホームが設けられた京橋方に3両分(60m)後退しています。

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新設されたホームは事実上ホーム延伸箇所に該当するのですが、旧上り線と新上り線の間に押し込まれる形で設けられているので窮屈な印象を受けます。

現状は木津方1両分が既存ホームとの接続のため仮設ホームが継ぎ足されていることと、実際の幅員はある程度確保されているようなので、木津方3両分がこちら側に拡張されるまでは何とかしのげるようです。
ちなみに夜間は保安のための要員が配置されているようです。

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一方の下りホームは延伸箇所の基礎工事が終わり、土木工事が進められています。

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今回の切替で変ったのは京橋方の配線で、これまではY字分岐だったのが片開きに変更されています。
新たに使用された分岐器は下り線側が直線となっています。

また、上り場内信号機が駅構内北側すぐにある祝園北一番踏切の京橋側付近から、数100mほど下狛駅寄り移設されています。
これに合わせて本線の軌道も西側に寄った形で設けられていますが、写真で見る限りでは場内信号機がある辺りまで複線化される可能性がありそうです。
今回の切替でそれが出来たのは、複線化のための用地が確保されているからとも言えます。

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今後は停車位置が変更された上りホームのホーム拡張工事が進められることになり、今回の時点ではそのための準備が進められています。

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本項の最後に提示しているのは祝園駅の配線略図です。
中段にものが先月切替えられて現在の配線で、点線が囲っている箇所が今後拡張されるホームです。
下段の完成予想図は確定出来ない様子があるため、あくまで参考程度に留めておいてください。

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→次に続く。

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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅20 旧名鉄谷汲駅・その1  

谷汲に到着しました。

旧谷汲駅は2001年10月1日に廃止された名鉄谷汲線の終点で、現在の残されている駅舎は1996年に旧谷汲村が2億円を掛けて建設した物で、現在の谷汲昆虫館を併設する形となっていますが、路線廃止後は駅舎・ホームは残されることになり、ホーム側にはモ510形とモ750形が静態保存されているほか、駅舎内にある待合所は谷汲線資料を展示する「赤い電車小さなミュージアム」として早朝夜間を除いた時間帯で公開されています。

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駅前の様子。
駅前広場が整備されていますが、路線バス自体は県道45号線沿いにある停留所で客扱いするためロータリー内は駐車場化されています。

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旧谷汲駅と記されている横にある西暦年数の記述は開業から廃止されるまでを示していて、谷汲駅の開業は1926年です。

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廃止後に掲示された谷汲線と揖斐線の概略。
ここには2002年にモ750形755号車が谷汲駅に静態保存されるところまでが記述されていますが、2005年に揖斐線・岐阜市内線の全廃まではフォローされていないところを見るとそれ以前に整備された物と見受けられます。

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こちらは旧谷汲村周辺の観光案内図。
地図の記述と先の路線概略を合わせるとこれらが整備されたのが旧谷汲村時代であると推定出来ます。

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改札外コンコース。
写真左手が谷汲昆虫館、右手が「赤い電車小さなミュージアム」

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「赤い電車小さなミュージアム」は本巣市の拠点を置き谷汲駅舎と保存車両の整備・管理を行っている市民団体「赤い電車友の会」が谷汲駅待合所を利用して開館したもので、谷汲線が現役当時使用されていた駅名標や路線案内図・駅時刻表などが展示されています。

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谷汲線のある駅の時刻表ですが「本数少ないですね」
周辺の様子も含めて考えると鉄道線として存続させるには厳しかったようです。

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路線案内図は美濃町線の終点が美濃だったり竹鼻線の終点が大須だった時代の物で、現在の路線網から考えると確実に短くなってきています。
後数年もすれば閑散路線の末端3区間ぐらい消滅しそうですが・・・。

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こちらは実際に使用されていた行先標や車両の銘板などの備品類です。

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その反対側には谷汲線のフォトギャラリー。

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中央に鎮座するのは谷汲線と揖斐線の位置関係とその地形を示す模型。
左下が谷汲、上にある川の模型は揖斐川水系根尾川、右側には揖斐線となっていて、谷汲線が山間部を走行していたのが良く分かります。

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次は実際にホームへ出て静態保存されている車両などを見てきます。

→次に続く。

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週末日記 2009年12月12日~12月13日  

2009年12月12日(

12日は平日と同じくお仕事。

前日から風邪をひいてしまい喉が痛いと言いながらマスク着用で仕事をこなしてましたが、薬が効いたためまだ楽な感じで夕方まで乗り切りました。

夕方から職場の忘年会。
今回は後輩が職場を去ることから送別会を兼ねてですが・・・。

多数の食い物とアルコールが飛び交い2時間で終了。
今回は人の集まりが若干良く無さそうと言うことで2次会は無しと言うことになったのですが、いずれにしても私は体調が戻っていないので早々に帰宅。

帰宅後すぐに爆睡。
やはり限界でした・・・。


2009年12月13日(

体調がほぼ回復した13日は午後からお出かけ。

まずは学研都市線の改良工事の見聞をしてきました。
前回は夜間だったので明るいうちにと言うことで・・・。

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祝園は木津方面行きのホームの切替が行われたのは前回報告しましたが、基礎工事が進められていた京橋方面行きホームはホーム本体の土木工事まで進んでいました。

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また、これまで大きな動きがなかった隣の下狛駅でも木津方へ3両分延伸させるようで、現時点ではホーム延伸箇所の基礎工事が着手されています。

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京都へ移動し、近鉄京都駅の改良工事も見聞。
こちらは1面1線分拡張される工事で、基礎工事が終わって拡張箇所の土木工事が進められていました。

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この後、梅田・西九条・阪神なんば線経由で帰宅してこの日のお出かけは終わりです。

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学研都市線の改良工事レポは後日アップしていきます。

category: 日記

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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅19 樽見鉄道・その1  

3日目は樽見鉄道の乗りつぶしから始めます。
今回は旧名鉄の谷汲駅来訪も絡めながらとなります。

先ずは大垣へ向かいますが、現行ダイヤは基本的に各駅停車が岐阜折り返しで、優等系統のみ大垣へ直通する形になっています。

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樽見鉄道はTOICA未対応なので、同鉄道から乗り換える際には大垣駅で一旦改札を出て樽見鉄道の乗車券を窓口が買うか、改札内コンコースにある樽見鉄道の窓口で現金精算する必要があります。

樽見鉄道の窓口は7番のりばにあるのですが、来訪当時は駅自由通路の設置工事の関係でのりばが米原寄りに変更されていました。

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ここで乗るのはハイモ230形。
樽見鉄道では2世代目に相当する車両です。

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ロングシートの座席が全て埋まり、立ち客も出だた状態で大垣を出発。
長良川橋梁までは東海道本線と並走します。

長良川橋梁を渡ると北へ向きを変えていきます。

北方真桑の手前で旧名鉄揖斐線と交差。
廃止となった名鉄の路線は架線柱も残されている状態であるものの、橋梁などは撤去工事が着々と進められてその痕跡さえ消して行く状態らしいという話を聞いています。

近年出来たSCに合わせて新設したレモラ岐阜駅で纏まった降車が見られました。
ここで立ち客が数名程度になった感じです。

樽見鉄道の拠点である本巣で車両交換も兼ねての乗換え。

本巣を出ると田園地帯の割合が増えてきます。
織部を過ぎると揖斐川水系の根尾川に沿って北上します。

大垣から40分ほどで谷汲口に到着。

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本巣から乗り換えた車両はハイモ295形315号車。

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谷汲口駅の駅舎。
事実上待合所のみの機能しかありません。

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ここからは揖斐川町コミュニティバスに乗り換えて谷汲へ向かいます。
このバスは基本的に大垣方面に合わせて設定されている感じで、基本的には谷汲山へ向かう人が多い感じです。

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谷汲口を出て県道45号線にはいるとに西へ進みます。
ここ先で旧谷汲線と交差する踏切跡を通りますが、廃線跡が農道のような感じなので見落としてしまいそうでした。

この先谷汲までは以外と残されている感じですが軌道などが撤去されているため、実際は築堤が延々と続いてる感じです。

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谷汲に到着。
ここで降りたのは2人だけ、残りの大多数は1つ先の谷汲山まで向かっていきました。

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→次に続く

category: 東海地方遠征

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2009年9月20日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅18 長良川鉄道・その4  

北濃駅に到着しました。

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予定ではこの折り返しに乗るのですが、折り返し時間の間に車内清掃をするとのこと。
流石にローカル線の末端駅らしい話ですが、この間を利用して撮影タイムとします。

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福井(越前花堂)と美濃太田を結ぶ計画であったことから北濃駅は中間駅然とした構成となっています。

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1面2線ですが、駅本屋側は使用されてなく雑草が生い茂っています。

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北濃駅の海抜は446m
JRバスおのりかえと書かれているのですが・・・。

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将来伸びることを想定して造られたものの、結局断念したのがこの写真からも窺えます。

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越美南線時代には貨物輸送があった名残から北濃駅構内には転車台が残されています。

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この転車台は人力で動かすタイプで、国内では大井川鐵道にある転車台(1897年製)に継いで2番目に古い1902年製だそうです。

もとは岐阜駅構内で使用されていたものを北濃駅延伸時に移設された物で、蒸気機関車が現役で使用されていた1960年代まで使用されていました。
歴史的産業文化遺産の評価から地元による保存会により整備され、現在は国の登録有形文化財に登録答申されています。
(下の写真は合成パノラマ写真なのでやや歪んでいますが、実際は上の写真を参考に)

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かつては有人駅だったのが窺えますが、現在は無人駅。

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駅舎には飲食店が同居していたのですが、廃業されたらしく現在は誰もいない状態です。

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駅前には郡上八幡駅から岐阜バスが乗り入れています。
北濃停留所を経由する路線バスは郡上八幡・美濃白鳥から旧高鷲村の蛭ヶ野高原を経て高山市の道の駅桜の郷・荘川を結んでいます。

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駅前の様子。

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撮影タイムを終えて再び乗車。
折り返して今度は美濃太田まで一気に戻っていきます。

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3時間ほど掛って美濃太田に到着後、高山本線に乗換えだったのですが、接続が悪く30分ほど待たされることになりました。

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ようやくやってきた岐阜行きに乗り2日目が終了。

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ホテルへ戻って3日目を迎えます。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 長良川鉄道 
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2009年9月20日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅17 長良川鉄道・その3  

郡上八幡駅へ戻って再び長良川鉄道の乗りつぶしを再開します。

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戻ってきた時には日が西へ傾いて駅構内は陰になっています。

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今度は下り列車に乗り込んで終点の北濃まで一気に走破します。

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長良川鉄道のほぼ全線を東海北陸自動車道が並走しています。

この高速道は愛知県一宮市の一宮JCT.から関・美濃・(郡上)八幡・白鳥・白川郷・城端を経て富山県玖波市の小矢部砺波JCT.を結んでいて、実は20年近く前に高校の研修で飛騨へ行った当時に通ったことがあり、その当時は美濃IC.までしか開通してなく美濃IC.以北は長良川鉄道に並走する形で建設中だった事を記憶しています。

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延々と長良川に沿って北上し、纏まった市街地が見えてくると旧白鳥町の中心駅である美濃白鳥に到着。

長良川鉄道の前身である越美南線は北陸本線越前花堂から南へ分岐してくる越美北線を結ぶ計画があり、その暫定措置としてかつては美濃白鳥駅から油坂峠を越えて越美北線の終点である九頭竜湖駅を結ぶバスがあったのですが、旧国鉄の財政悪化や道路交通の整備などで不要となり建設されることなく国鉄バスからJR東海バスに引き継がれた後、2002年に廃止されています。

この路線バスが残っていたなら越美北線や長良川鉄道の乗りつぶしは楽だったのにな~という自分勝手な事を考えたりしてしまいます・・・。

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美濃白鳥から北上すると平地がだんだん狭まってきます。

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細長い田園地帯をしばらく進んで小さな集落が見えてくると終点の北濃に到着です。

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ようやく長良川鉄道の終点である北濃に到着。

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ここから折り返すのですが、30~40分ほど待ってからなのでこの後は撮影タイムです。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 長良川鉄道 
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2009年9月20日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅16 郡上八幡の旧城下町を散策  

城下町プラザへ戻ってきました。
ここからは共通観覧券で回れる郡上八幡博覧館と旧城下町の町並を散策することにしました。


写真の城下町プラザは郡上八幡の観光拠点という位置付けということもあって郡上市周辺各地を結ぶ路線バスも乗り入れています。

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郡上八幡博覧館。
郡上八幡に関連した歴史や自然・産業を紹介したものが展示されています。

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博覧館を出て市街地の散策です。
ここの建ち並ぶ家の2階両端には衝立のような物が張り出していますが、これは卯建または袖壁と呼ばれる物で、主に防火対策のためにあるものと言われています。

郡上八幡以外にも同様の物があり、基本的には古くからある建造物にあるようです。
写真は職人町・鍛冶屋町の町並。

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石畳の細い路地。

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市街地の西側を流れる小駄良川(長良川水系)

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清水橋。
橋の近くに郡上八幡のシンボルである湧水・宗祗水があります。

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こちらは吉田川沿いにある中河原公園内にある湧水。

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市街地の東西を流れる吉田川。
同じく長良川水系の小駄良川との合流点付近から撮影。

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水の町・郡上八幡でのワンショット。

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市街地を後にして郡上八幡駅へ戻って再び乗りつぶしを再開します。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

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2009年9月20日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅15 郡上八幡城・その2  

さて、郡上八幡城の天守内へ入ります。

郡上八幡城はNHKの大河ドラマ「功名が辻」で知られる竹内一豊の正室である千代(後年は見性院とも呼ばれている)の故郷で、その天主自体は後日来訪する予定の大垣城を参考にした模擬天主ですが、再建された物として珍しい木造の天主は思っている以上にコンパクトな印象を与えます。

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天守内に展示されている郡上八幡城の模型。

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木造の天守内は当時の構造を復元したものではなく展示室で使用することを前提としていたらしく、中央の階段周辺が吹き抜け構造になっています。

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最上階からの眺め。
眼下には郡上八幡の市街地が広がっています。

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天守を出て麓へ下りていきます。

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天守前の様子。

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天守台前の標高は353.95m

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天守台の側らにある力石。

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天守台付近から見る市街地。

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臨時駐車場にある山内一豊と妻(千代)の像。
その背後には郡上八幡城の天守が見えてます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

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2009年9月20日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅14 郡上八幡城・その1  

郡上八幡駅から郡上市街地に向けてバスで移動します。

郡上八幡駅を通るバスは駅前ロータリーに郡上八幡コミュニティバス「まめバス」と岐阜バスの路線が乗り入れています。

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郡上八幡城がある市街地からは徒歩で20分ほど掛ることから「まめバス」に乗って城の登り口のある城下町プラザへ向かいます。

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ここで乗ったのは日野のポンチョ。
シーズン期真っ直中なので、あっという間に混んでしまいます。
殆どは城下町プラザまでの利用でした。

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城下町プラザで下車。
ここは郡上八幡の観光拠点で各種物販店などがあるほか、裏手はバスのりばと駐車場があります。

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登り口は城下町プラザの裏手になる東側にあります。
下の写真で言うと右側の坂道がそれです。

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元は城下町であった市街地を眺めながら登っていきますが、比較的急です。

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郡上八幡城の駐車場は複数あり、写真は臨時駐車場です。

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城へ来訪する人の多くは東海北陸道などを利用して自家用車で来ているようで、この辺りから人が多くなってきます。
また、駐車場が山の上の方まであるようで車が狭い道を上がっていきます。

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登り口から上がること10分ほどでようやく城の石垣が出迎えてくれます。

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ここからさらに登って行くと天守が見える場所まで出てきます。

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天守西側にある窓口で観覧券を購入し天守台へと進みます。

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門を潜ってご対面となった天守は随分とコンパクトな印象を受けます。

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この後、天守内部へと入ります。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

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週末日記 2009年12月6日  

2009年12月6日(

6日は身内の結婚式に出席してきました。

礼装姿になるのは数年ぶりでしたが、職業上においては作業着を着る人なので仕事も含めてスーツを着ることがないことから、ネクタイを結ぶのに難儀しイライラしてしまいます。

会場は駅に隣接しているホテルなので電車でも良かったのですが、諸般の事情があり自宅からタクシーで直接会場入り。

当日は大安と言うこともあって、複数組が入り乱れる状態でした。

披露宴は昼頃から開始。
食事は順次出てくるのですが、撮影に奔走したりして忙しない状態でした。

夕方に終了しタクシーで帰宅。

帰宅後は撮影したり、録り貯めしたままとなっていたTV番組を見たりしてこの日は終わっていきました・・・。

#今日撮影した画像はプライベートな物ばかりなので今回はアップしません。

category: 日記

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2009年12月5日 眼鏡を新調する  

ここ最近になって眼鏡レンズのコーティングが剥げてきて、その箇所がこびり付いた汚れのようになり鬱陶しくなってきたことから、12月5日に眼鏡屋へ駆け込んで来ました。

案の上も要交換事になったのですが、15年にわたり使用し続けたフレームも傷んでおり「このまま使用すると耳が痛くなるので・・・」と言うことで、15年ぶりにフレームも換えることにしました。

眼鏡自体は中学当時から掛けてきていますが、今回換えたフレームは4代目。

現行の3代目が社会人になってからなものなのでフレーム自体は換えてなかったのですが、やはりフレームの劣化も考えると数年単位の周期で換える方が良いかもしれません。

今回はやや細めのものですが、縁なしのツーポイントフレームではなく、リムがレンズ上部または下部にありそれ以外はナイロン糸で固定するナイロールフレームで、ここで選んだのは上部にリムがあるハーフリムと呼ばれるものです。

レンズの度数は現行のままでも支障なしなので同じ度数のままレンズを新規に作ってもらいます。
また、これまでのレンズも屈折率の高いレンズでしたが、15年の月日はさらに薄いレンズまで生み出しているようです。

フレームを選んで待つこと20分で完成・引き渡し。
その眼鏡が下の写真のものです。

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今回で4代目となる眼鏡フレーム

これで数年間はこの眼鏡と共に過ごすことになります。

category: 日記

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2009年12月4日 外部ストロボ「Canon スピードライト 430EX II」その2  

さて、実際にEOS50Dに取り付けるのですが、その前に電源となる電池を装填します。

EX430 IIは単三乾電池が使用出来るほか、単三のニッケル水素電池やリチウム電池が使用出来ます。
このため、仕切が奥まったところにあるため、単三乾電池などを装填する時は少しもたつくかも知れません。

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装填するとこのような感じとなります。
写真は単三アルカリ乾電池を使用したものです。

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ではEX430 IIをEOS50Dに取り付けます。

一般的にカメラの場合、外付けストロボの取付位置はレンズの中心線の上部に用意されています。
機種によっては若干左側にオフセットされている場合もあります。

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アクセサリーシューのガイドに合わせてスライドさせるようにEX430 IIをセットします。

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止まるところまでスライドさせるとロックレバーを右方向へカチッという音が鳴るまでスライドさせて固定します。
ロック位置にするとEX430 IIの取付脚と本体が挟む形で固定されます。

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取付はこれで終わりです。

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取付が終わるとEX430 IIの電源を入れます。
PILOTの表示が赤色に点灯すれば使用出来るようになります(消灯している場合は充電中か電源が切れているかも知れません)

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基本的な情報を表示する液晶パネルはバックライトにより一定時間(数秒程度)点灯させることが出来ます。
(液晶パネル左下の電球マークが記されたボタンを押せば点灯します)

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実際にEX430 IIを取り付けたEOS50Dの写真。
まずは標準的な状態で・・・。

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続いてバウンス撮影時の状態で。

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これで実際に使うことになるのですが、使いこなすには数を重ねないといけませんね。

今回のレポは以上です。

category: デジタル家電の話題

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2009年9月20日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅13 長良川鉄道・その2  

美濃町線の廃線後を見た後は関駅へ戻り、北濃行きに乗って再び長良川鉄道を北上します。

北濃行きは先の関行きを挟んだ1本前の列車から2時間開いていることから立席が出る状態ですが、所詮は単行なので100人弱程度と言う状況では利用者数も知れてます。
この利用状況だと経営的にも厳しいというのは肌で感じますね。

郡上八幡に到着。
関から約1時間要しています。

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関から郡上八幡まではナガラ3形の305号車に乗車。

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郡上八幡駅は2面3線で、改札口がある側が美濃太田方面行きで島式ホームは折り返し列車と北濃行きのりばとなっています。

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3番線にナガラ5形に遭遇。
長良川鉄道では最新鋭の車両でナガラ2形・3形がセミクロスであるのに対し、こちらはナガラ1形以来となるオールロングシートとなっています。

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ホームに掲示されている時刻表。

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跨線橋を渡り駅舎へ。

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郡上八幡駅の開設は深戸駅から延伸された1929年。
長良川鉄道では運行上の要に位置づけられています。

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駅前のロータリーにある石碑。

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有人駅で待合所がありますが、窓口横には「ふるさと鉄道館」があり、長良川鉄道の前身である国鉄越美南線時代から使用されていた備品などが展示されています。

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この後は郡上八幡城へ向かいます。

→次に続く

category: 東海地方遠征

tag: 長良川鉄道 
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2009年12月4日 外部ストロボ「Canon スピードライト 430EX II」その1  

今度の週末に結婚式に出席するに際しカメラを持ち込むことを考えたのですが、どうしても外部ストロボが必要になりそうだったので、仕事が早く終わった12月4日に梅田まで出向いて買ってきました。

今回はEOS50Dに付けるストロボなので、純正の「スピードライト430EX II」にしました。
上位機種の580EX IIでの良かったのですが、そこまで大きなものが必要でもなかったので、ミドルレンジに位置するこの機種でも十分と判断したわけです。

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開封して中身を取り出すと本体はソフトケースに収められているようです。

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取扱説明書と一緒に。

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430EX II本体。
通常はライトが上に向いた状態で収納されます。

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同梱のミニスタンドに取り付けた状態で・・・。
こちら側が表で、AF補助光投光部とワイヤレス受信部があります。

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裏側は液晶表示パネルと操作スイッチ類が並んでいます。

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バッテリーは単三乾電池の他、単三ニッケル水素電池、リチウム電池が使用出来ます。
交換の際は本体側面にある蓋を下にスライドしてから手前へ開く方式です。

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バウンズ撮影に対応するためストロボの発光部は向きが変えられますが、その際は側面のバウンズロックボタンを押しながら動かします。

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角度自体は上0~90度・左0~180度・右0~90度の範囲内で設定出来る仕様になっています。
以下のような感じとなります(参考までに)

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430EX IIの照射角は35mm換算で24mm~104mmまで対応されているそうですが、超広角となる14mm相当に対応するためのワイドパネルが用意されていて、使用する時は写真のように引き出して使用します。

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ワイドパネル使用時の状態。

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お次は実際にEOS50Dへ取り付けて見ます。

→次に続く。

category: デジタル家電の話題

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2009年9月20日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅12 名鉄美濃町線の遺構・その2  

美濃町線の廃線レポ後編です。

新関駅は関の中心街に位置する列車交換設備を有する駅で、路線末期には末端部の主要駅として位置づけられていました。
廃線後は地元のタクシー会社が営業所として駅舎を利用しています。

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駅前には岐阜バスの栄町1丁目停留所で建物自体は待合所として使用されています。

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新関駅跡の周辺。
南側は表口のような位置付けで現在はタクシー・バスのりばとバスの回転場となっています。

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裏口となる北口は直接ホームへ上がれる出入口で廃止後の現在は閉鎖されています。

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新関駅構内を北西方向から撮影したもの。
ここから見ると元は駅であるが判ります。

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やや離れて駐車場前から新関駅跡を撮影したもの。
背後に写る小山の脇を長良川鉄道が通っています。

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新関駅の前後は新旧の住宅地を突っ切る形で通されています。

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GSの付近で道路と並走。

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国道248号線を側道に挟まれた栄町3丁目交差点付近に出てきますが、交差点の手前までは道路と住宅に挟まれる形となり、それは家の軒先を電車が走ると言う構図を生む形となります。

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栄町3丁目交差点。
美濃町線の線路は軌道こそ撤去されているものの、国道248号線を側道に挟まれたのまま残されている感じですが、おそらく用地買収の交渉か地元自治体の予算の関係から現状のままになっているだけかも知れません。

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そろそろ戻らないといけないので関駅へ戻っていきました。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

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