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2011年5月4日 筑肥の城を巡る旅31 大宰府政庁の防衛ライン・水城跡  

四王寺山から下山後は大宰府政庁の防衛ラインとして構築された水城跡へ向かいます。

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筑前国分寺跡。
写真は一部だけですが、史跡に人が居座っていたため撮れなかったためです。

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大宰府政庁の防衛ラインである水城跡。

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大宰府にある水城は湖や河口など水郷上に築城された「水城(みずじろ)」のことではなく、この写真にある水城大築堤と記されている通り、大規模な築堤と堀が構築されたもので「水城(みずき)」と言います。

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水城は全長1.2kmに及ぶ防衛設備で、基本的に土塁と最深部が4mの水堀によって構成されています。
ここから大宰府への出入りは2ヶ所にある切れ目に造られた城門を利用されるようになっていました。

国道が通るこの場所は東門跡で、近くに写真の礎石が残されています。

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東門跡側から見る水城の大築堤。
写真中程に見える九州道や西鉄・JR鹿児島本線を突っ切って奥の丘陵地帯まで伸びています。

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南側から撮影。

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北側にある見学スペース。

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見学スペースから撮影。

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では合成パノラマ写真で・・・。

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これで大宰府政庁関連の史跡巡りは終り。
下大利駅へ向かい西鉄に乗り込みます。

→次に続く。
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tag: 日本の旧跡  大宰府政庁  水城 
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2011年5月4日 筑肥の城を巡る旅20 太宰府政庁跡・その2  

大宰府政庁跡の続き。

政庁の中心部である正殿跡。
政庁の長官が執務を行い、儀礼・儀式の場としての建物です。

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政庁跡の石碑。
当地では「都督府古址」や「都府楼跡」とも呼ばれて、写真の石碑は「都督府古址」と記されています。

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正殿跡から南側を見る。

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石碑が建てられている背後にある後殿跡。

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後殿の背後にある東楼跡。

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東楼と対で設けられていた東楼跡。

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北門。
裏門的な存在で、近代城郭で言うところの搦手に相当します。

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政庁跡北側の様子。
この付近には大宰府政庁の防衛設備として築城された大野城跡がある四王寺山への登山口があります。

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南西側から見た政庁跡。

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太宰府政庁跡を出て周辺の史跡を見てきます。
大宰府展示館の東側にある月山東地区官衙で正殿周辺に18ヶ所ある政所・蔵司などを行った一つです。

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学校院跡。
大宰府政庁にある学校院は西国の役人を養成する機関。

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太宰府政庁跡巡りはここまで。
このあとは太宰府天満宮へ来訪するためバスに乗って移動します。

→次に続く。

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tag: 日本の旧跡  大宰府政庁 
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2011年5月4日 筑肥の城を巡る旅19 太宰府政庁跡・その1  

それでは大宰府政庁跡を見てきます。
前記事にあったこの写真は政庁跡の西側に隣接する倉司地区官衙跡で、西海道九国三島からの綿・絹などの調庸物(現在の税に相当する)を収納管理する役所があった場所。

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倉司地区官衙跡を合成パノラマ写真で俯瞰。
現状は埋め戻されていますが、建物の礎石などが発掘調査時に検出されています。

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先ほどの正面入口へ戻って。

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政庁内へ入る前に政庁跡南東端にある大宰府展示館へ。

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ここには政庁の復元模型や各種資料などが展示されています。

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展示館前から政庁跡を撮影する。

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では政庁跡へ。

大宰府政庁は室町時代を境に衰退し消滅し周辺は耕作地となっていきました。
発掘調査自体は江戸時代から着手され、跡地には石碑などが建てられていましたが、復元されることなく耕作地のままとなっていましたが、1960年代に入り大規模宅地造成計画が持ち上がった際、遺構を開発から守るために文化財保護の指定地域を拡大が実施、その後本格的な発掘調査と遺構の保護および整備が進められて現在に至ります。

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正面にあるのが南門。

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現状で残る礎石は第一期の奈良時代のものではなく、第二期・第三期の平安時代のものです。

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ここから外周を囲うように設けられた回廊跡。

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中門跡。
正殿の前に設けられている門で、門前の両脇には衛門舎が設けられていました。

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東脇殿跡。

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西脇殿跡。

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続いて正殿と後殿を見てきます。

→次に続く。

category: 九州・沖縄地方遠征

tag: 日本の旧跡  大宰府政庁 
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黄金週間日記 2011年5月4日  

2011年5月4日(

後半遠征2日目は史実として残されている城郭としては国内最古である大野城と関連する大宰府政庁跡と防衛の要である水城大堤跡を巡ってきました。

大野城址へ行く前に大宰府政庁へ向かうため、西鉄に乗って都府楼前へ。
西鉄はここ何年か遠退いていたため、久しぶりの乗車。

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都府楼前から大野城を有した四王寺山の麓にある大宰府政庁跡へ歩いて移動。

大宰府は西海道9国と隠岐・対馬・大隈諸島(当時は多禰)を所轄するし外交・防衛と担う地方行政機関が置かれていた場所です。

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現在は中心部である政庁の礎石が復元・整備されている状態で、隣接する大宰府展示館に展示されている模型から推定されるのは建造物が宮城の多賀城や奈良の平城京のようなものが建てられていたようです。

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大宰府政庁跡からバスに乗って太宰府天満宮へ。
大野城に登城する前に昼食もかねて寄り道をしてきました。

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午後からは大野城へ登城。
四王寺山の山頂を中心に史跡がある大野城へは九州自然歩道などいくつかルートがあるのですが、往路は太宰府天満宮の近くから林道を延々と登る事にしました。

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四王寺山の中腹には室町時代から戦国時代に掛けて存在した岩屋城へも寄って来ました。

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登山口から上ること1時間以上掛かって福岡県立四王寺山県民の森の中核施設である県民の森センターにようやくたどり着き、配布されているパンフレットを手に巡り始めたのは14時前。

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大城山を主峰に4つの山で構成される四王子山は四王寺地区の集落が山で囲まれるような地形となっていて、大野城はその地形を生かして山頂を中心とする山腹に大規模な土塁を、その内側に主要部を配したものとし、延々と構築した土塁は全長8kmという大規模なもので、結局のところ主要なところのみに絞ってしかなく日没までの数時間ではとても回りきれるものではありませんでした。

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下山後は筑前国分寺跡や水城跡を巡る事に。
水城跡は平野部の防衛として構築されたもので、実際は全長数kmの大規模なもので、現在残されているものでも一部は途切れてしまっていますが、それでも非常に長大な遺構が残されています。

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下大利へ移動して再び西鉄に乗って久留米へ。
ここで夕食タイム。

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JRの久留米駅へ移動して鹿児島本線に乗ってこの日は終了。
ホテルに戻って最終日を迎えます。

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category: 日記

tag: 日本の旧跡  大宰府政庁  水城  日本の城郭  筑前岩屋城  日本100名城  筑前大野城  西日本鉄道  JR九州  太宰府天満宮 
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