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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅25 大垣城・その2  

下の写真は大垣城の本丸の概略図です。

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二ノ丸に通じる鉄門跡

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鉄門から本丸寄りにある七間多聞跡。
鉄門と七間多聞の間は帯曲輪。

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西門。
東門と同じく城跡の整備により設けられた門で本来は籏長柄多聞が続いている。

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戸田 氏鉄(とだ うじかね)の騎馬像。
1685年から廃藩置県までを代々続く大垣藩藩主を戸田家が務めた初代藩主となった人物で、島原の乱での軍功により大垣藩の藩主となった人物です。

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戌亥櫓。

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戌亥櫓の隣にある水の手門跡。
帯曲輪北西側に位置する。

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東狸門跡。

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辰巳櫓跡。

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これで大垣城観覧は終わり。
大垣駅へ戻って関ヶ原古戦場へ移動します。

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→次に続く。
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅24 大垣城・その1  

樽見鉄道乗りつぶしの次は大垣城へ登城してきます。

大垣城へは大垣駅南口正面の県道57号線を南へ進み下の写真の石碑を西へ入ったところにあります。

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出迎えてくれるのは東門。
下の写真を撮影した辺りは中堀があった

東門は柳口門を移設したのもので、当時この場所には門が無く櫓から続く城壁と大小姓多聞があるだけでした。
東門の隣にあるのは宗門続多聞櫓と丑寅櫓、この角度からは見えませんが丑寅櫓の隣で帯曲輪北側に面する場所に先手武具多聞があり、こちらは当時と同じ場所に復元されたものです。

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当時の大垣城絵図面を複写した案内図。
江戸時代初期のもので島原の乱が頃に描かれたもの。

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往時の大垣城の総構えはもっと大規模でしたが、平山城だったため廃城後本丸以外は全て市街地になってしまいました。
本丸も火災や戦災などで消失し、現在ある天守や櫓などは再建されたもの多く占めます。

写真は本丸外側にある帯曲輪。

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天守は以外と小さく、観覧のための入口(東附多聞)は手狭な印象です。
天守の観覧料金は100円。

天守内部は資料館として公開されていて、関ヶ原の戦いに纏わるムービーも公開されています。

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大垣城の天守は廃城後も破脚を逃れて国宝にもなったのですが、1945年の空襲により消失。
現在の天守は1959年に鉄筋コンクリート造りの外観復元によるものです。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

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シルバーウィーク日記 2009年9月21日  

2009年9月21日(

遠征3日目である21日は午前中を樽見鉄道の乗りつぶしに旧名鉄谷汲駅への来訪を絡めて、午後は大垣城への登城と関ヶ原古戦場巡りをすることにしました。

明日以降の遠征後半の宿泊先は名古屋になるため、ホテルをチェックアウトして大垣へ。
大垣から樽見鉄道に乗り換えのですが、南北自由通路の工事に関連した旧跨線橋の撤去工事のため切り欠きの6番線から7番線へ暫定移転していました。

大垣から乗った列車は樽見行きでしたが、途中の本巣で乗り換えに・・・。
車両基地が本巣にあるのと運用の都合もあるのでしょう。

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谷汲口で下車。
ここから名阪近鉄バスの揖斐川町コミュニティバス谷汲線に乗り換えて谷汲へ。

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名鉄谷汲線の黒野~谷汲は廃止されて10年近くしますが、ほとんどが軌道が撤去されているだけで、道床や築堤はそのまま残されている状態。
だたし撤去工事が停滞するのは厳しい予算の中から捻出されるものなのと、撤去後の活用法が見出せない中そのままということも考えられます。

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現在の旧谷汲駅は昆虫館との併設となっていますが、事実上の展示館状態なので、改札内コンコースはスロープが設けられているなど手が加えられ、待合所は谷汲線で使用されてきた備品などが展示されているなど手が加えられていますが、ある程度は廃止前の状態となっています。

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展示されている車両はモ510形514号車とモ750形755号車が静態保存されており、モ510形は岐阜市内の金公園や旧美濃駅に残されている車両が蛻の殻状態であるのとは異なり、現役最終仕様の車内がそのまま残されているのが特徴です。

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バスの都合上30分程度の滞在で谷汲口へ戻り、再び樽見鉄道に乗って終点の樽見まで乗り通しました。

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樹齢1500年以上もするエドヒガンザクラの淡墨桜(うすずみざくら)がある淡墨公園の最寄り駅として知られる樽見駅は2年前の不審火により駅舎が全焼し、現在あるのは「うすずみふれあいプラザ」と交流施設が併設される2代目となっています。

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折り返し大垣へ戻ると、空きから南へ10分ほどの場所にある大垣城へ。
現在の大垣城は本丸の一部が残されているだけといことで日本100名城からは外されていますが、天守や隅櫓は概観だけ復元されて、天守内部は史料館として利用されています。

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大垣城の後は関ヶ原へ移動し、関ヶ原古戦場巡り。
先に町役場近くにある関ヶ原歴史民族資料館に入ってから入手した「ザ・ウォークマップ」を利用して古戦場の各所を巡りました。

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今回は徳川家康最終陣後~決戦地~石田三成陣跡(笹尾山)~黒田長政・竹中重門陣跡(丸山)~島津義弘陣跡~開戦地~小西行長陣跡~小早川秀秋陣跡(松尾山)という順で巡りました。

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中でも一番最後に訪れた小早川秀秋陣跡がある松尾山が大変で、高さ的には300m程度の山で東海自然歩道の一部なのですが、回りくねっている上にアップダウンが激しく、通常40分程度のところを日没近かったこともあって往路26分・復路20分のハイピッチで駆け抜けてきましたので、結構きつかったです。

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登山口まで戻ったときには薄暗くなっていて、関ケ原駅へ戻った頃には真っ暗になっていました。

関ケ原から岐阜へ戻り、ロッカーに預けていた鞄の回収と夕食をとって名鉄で名古屋入りしてこの日は修了としました。

category: 日記

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