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2011年1月9日 信越の城を巡る旅5 信濃飯田城・その3  

飯田城址めぐり3回目。

続いて二の丸跡。
廃城後の飯田城は櫓や御殿は破壊に留まらず、堀は埋立てられ、城内にあった巨木も切り倒され、道具類・古文書等も廃棄されるなど、他の城郭に比べてかなり徹底的に破壊され、現在は下の写真のように市の主要施設や宅地化されて遺構は極僅かしか残されていません。

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二の丸跡は北側が宅地化され、南側が飯田市立美術館が建てられています。

美術館の駐車場。

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美術館正面。
二の丸大通り跡でその奥にある住宅地前に二の丸御門(八間門)跡がありました。
二の丸御門は廃城後に飯田市内の民家に移築され、現在も松尾久井の場所に残されています。

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この付近には白線が描かれていますが、これは水路跡を示すもの。

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それ以外は水路を模したものが造られています。

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美術館前にある井戸跡。
5か所あった二の丸内の井戸の一つ。

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出丸と二の丸の間にあった水の手御門跡。

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桜丸にあった赤門。
移築したものですが、門自体は現存の城門です。

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赤門がある桜丸跡は飯田市立図書館や飯田合同庁舎が建てられています。

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さて、飯田城がこれほどまで破壊されたのは、11代藩主堀親義が徳川慶喜の側近であったことも含めて幕府側に建つ人物であったことと、明治時代に入ってから起きた飯田事件も含めて明治新政府から危険視されたことから、遺構も歴史も抹殺されたからと言われています。

この後は飯田城の前身となる信濃飯坂城(信濃愛宕城)跡を見てきます。

→次に続く。
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category: 甲信越地方遠征

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2011年1月9日 信越の城を巡る旅4 信濃飯田城・その2  

信州飯田城址巡りの続きです。

下の写真は主郭部南側から撮影したものです。
右側に見える緑に覆われている場所は飯坂城とも呼ばれる愛宕城跡で、こちらは後ほど触れることにします。

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水の手通りから見る主郭部の南側。
正面の丘陵上にあるのが出丸跡で現在は飯田市立追手町小学校になっています。

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二の丸の下あたり。
左側の丘陵上に二ノ丸跡がある。

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水の手通りを東へ下って県営住宅に近い場所にある小さな道から主郭部の先端へ登っていきます。
あまり目立たない道ですが、間違っても登りやすいからと言って車道の方へ進んでしまうと主郭部の先端へは行けず二の丸跡と桜丸跡の間に出てしまいます。

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登り口をから登って最初に見える民家の前まで来ると左手に大きく回ってさらに登ります。
写真はそこから登ったところから撮影したもので、左上に見える白いガードレールが写真中央に向かって下りてますが、それが登り口からの細い道です。

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民家の軒先を通るような細い道を登って行きます。

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しばらくすると伊那盆地の河岸段丘に広がる宅地と丘陵の斜面に沿った建っている民家が見えてきます。

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さらに登ると正面に旅館らしき建物が見えてきます。
これが飯田城温泉三宜亭本館で、その場所が主郭部の先端にあたる山伏丸跡です。

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山伏丸跡に建つ三宜亭本館。
中央右奥に見える道が先ほど登った道、中央下付近に見えるスロープのようなものが本丸と山伏丸の間にあった堀切の跡らしい。

ちなみに山伏丸は築城前は修験者(山伏)の修行所があり、築城に際して本稿の冒頭で触れた飯坂城(信濃愛宕城)の土地と交換したことに由来しているそうです。

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本丸跡。
本丸跡は現在、北側に長姫神社、南側に長姫神社と三宜亭本館の駐車場となっています。

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長姫神社。

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柳田國男館・日夏耿之介記念館の駐車場。
この辺りは本丸と二ノ丸の間にある堀切跡があったとされています。

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日夏耿之介記念館
飯田ゆかりの詩人・文学者である日夏耿之介(1890~1971)の功績を称えて建てられた飯田市美術博物館の付属施設で、建物自体は晩年過ごした邸宅を復元したもの。

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柳田國男館。
日本民俗学の創始者である柳田國男(1875~1962)の書屋を、東京都世田谷区から移築して飯田市美術博物館の付属施設として開館させたもの。

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→次に続く。

飯田城址の衛星写真(Yahoo!地図より)

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2011年1月9日 信越の城を巡る旅3 信濃飯田城・その1  

飯田からは飯田城址めぐりを始めます。

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飯田駅前広場。
飯田駅前を含めた南北方向は飯田城の外堀があった場所とされています。
現在は駅正面がタクシー乗り場、南側がバス乗り場となっています。

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駅前広場にある井原五郎兵衛碑。

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駅前広場を真っ直ぐ南へ進むと飯田城の外堀跡があります。
現在は柏心寺の境内の石垣になっていますが、元は飯田城の総構えの外縁部に位置します。

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ここから旧飯田城の城下町を巡ります。
この辺りは主郭部を外側にある町屋などがあった場所で、1940年代の飯田大火災によって見る影もありませんが、町の区画自体は一部を除いて大きく改変されてはいません。

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長源寺入口にある山口不二墓。

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殿町にある飯田最古の道標。

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道標の西側にある武家屋敷福島家。
現在も民家として使われているらしい。

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赤穂浪士の一人である赤垣源蔵(赤埴重賢)の生家跡。

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江戸時代中期の儒学者・経世家である太宰春台邸跡。
現在は5月から12月の毎週日曜に開かれる夕市がこの場所で開かれる。

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→次に続く。

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三連休日記 2011年1月9日  

2011年1月9日(

遠征2日目である9日は名古屋を出発し飯田城址を巡ることにしました。

長野県南部に位置する飯田へ出るには高速バスが最速なのですが、飯田線を日のあるうちに乗ったことがなかったため、豊橋から飯田線で飯田入りをすることにしました。

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鉄道利用だと一番早い時間で豊橋6:00発。
これだと飯田に9時台到着なのですが、最近朝早いのはきついので、その次となると豊橋8:12発になるものの、後発の10:08発の伊那路1号が先着することから、ここの照準を合わせることにしました。

豊橋までは東海道線の新快速で移動。
6両編成で100p(座席が全て埋まり立ち客が各ドア付近に10名弱)で、京阪神地区の新快速が8両編成でも120p(座席が埋まり、各ドア付近に10名以上20名弱)前後であることを考えると都市圏のパイの大きさに違いがあるということだけは間違いなさそうです。

豊橋では313系4次車に遭遇。
ここでは大垣在籍車では初の1100番台ですが、バリアフリー対策が強化されていることから3次車とは若干仕様が異なります。

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豊橋からは伊那路1号に乗って飯田へ。

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特急としての伊那路号は頑張っているようですが、建設年代の古さや歴史的経緯による影響が大きい飯田線の線路規格自体がよろしくなく、山間部も曲線と狭小トンネルに泣かされるうえに、伊那盆地南部の河岸段丘を行く区間はこれよりノロノロ。
結論から言うと川島令三氏の振り子電車投入論は飯田線では破綻しているということです。

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飯田到着後は雪が舞う中で飯田城址巡り。
下伊那地域の要衝となっていた飯田城は廃城後、本丸が旅館と神社となり、他は官庁街と市街地化されたため、遺構が皆無に近いほど残されていないため、現状はそこに城があったことを示す石碑と飯田市立図書館の傍らに残されている赤門があるだけ。
他は一部の城門が移築されたたけなのだそうです。

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飯田では飯田城の前身となる信濃愛宕城(現地では飯坂城とも呼ばれている)へも行ってきました。
こちらは現在、愛宕神社の境内になっていました。

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飯田を離れ北上。

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伊那盆地南部の河岸段丘は思っている以上の高低差のある段丘で、飯田線もそれに沿ってゆくため急曲線と勾配の連続。
土木技術が進んだ頃に建設された高速道路とのインフラの差にはどうにもならないと言うところを思い知らされました。

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飯田線を走破した後は岡谷で乗り換えて松本入りし2日目は終了。

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松本市内のホテルにチェックインし最終日を迎えることにしました。

category: 日記

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