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2011年1月10日 信越の城を巡る旅12 信濃松代城・その5  

松代旧城下町巡り。
最後は武家屋敷と文武学校を見てきます。

まずは旧樋口家住宅。
合成パノラマ写真なので歪んでいますが・・・。

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文武学校。
8代藩主・真田幸貫が1855年に開校させた松代藩の藩校。

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表門をくぐったところ。
写真中央の大きな建物は文学所。

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正面左手にあるのは西序。

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東序。

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剣術所。

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西序。

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西序の内部。

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柔術所の内部。

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文学所の内部。

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文学所から槍術所を写す。
奥の建物が槍術所。

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弓術所。

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弓術所の内部。

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表門と柔術所と腰掛。

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旧白井家表門。

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真田勘解由家住宅。

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真田邸の裏手。
こちら側には四番土蔵から七番土蔵が並んでいる。

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松代城旧城下町巡りはこれで終了。
松代からは川中島バスに乗って長野駅へ移動しました。

→次に続く。
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2011年1月10日 信越の城を巡る旅11 信濃松代城・その4  

松代城主郭部跡を巡った後は城址公園外にある関連施設などを見てきます。

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三の丸跡に建つ池田三寿夫美術館の敷地内にある三の丸堀跡。
実際は深い場所に埋まっているため、写真のものは再現されたもの。

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三の丸堀跡と大御門から通じる道の跡地を跨ぐ形で建っている真田宝物館。
真田家がここ松代に移ったのは江戸時代に入ってからですが、この宝物館には海津城→松代城に至る歴史と戦国時代~明治維新後の真田家の歴史や資料などが展示されています。

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真田宝物館と新御殿と呼ばれた真田邸の間は大御門からの道と三の丸堀外縁部に面していたようですが、現在はご覧の通り真田公園として整備されています。

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公園内に建つ恩田木工民親の像。
6代藩主・真田幸弘の勝手方御用兼帯である恩田民親は災害・不正などで財政危機にたされた松代藩の財政を立て直す役目を任じられた。
在任中は大きな成果が得られなかったが、彼の公正な政治姿勢と領民に対する真摯な姿勢から財政再建への意識を改革した意味は後世の評価につながったとされています。

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真田邸。

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新御殿とも呼ばれたこの屋敷は1862年の参勤交代の廃止により、江戸から帰った松代藩8代藩主真田幸貫の嫡男・幸良の夫人であった貞松院のために1864年に松代城三の堀の南側に隣接して建てられたもので、当初は貞松院の居宅として使用されていたが、後に9代藩主幸教の隠居所となり、さらに明治維新後は真田家の私邸として使用されてきました。

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新御殿の内部。

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真田邸内にある庭園。

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庭園を囲むように建てられている土蔵。
真田邸には一番から七番まで7棟の土蔵があります。

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庭園の奥に位置する御鎮守。

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続いては武家屋敷と松代藩文武学校を見てきます。

→次に続く。

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2011年1月10日 信越の城を巡る旅10 信濃松代城・その3  

本丸を出ます。
写真は東不明門。

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ここは南面にある太鼓御門前橋が崩れて使えなくなったときの通用門として使用されることを想定して造られたもので、通常は閉ざされていました。
東不明門の前には橋が架けられていて、城址公園の案内には東不明門前橋となっています。

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東不明門前橋から見る内堀東面。

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二の丸東面から見る二の丸石場門。

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二の丸石場門。
写真の礎石はレプリカで実際の礎石は調査後埋め戻されています。

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城址南西側の丸馬出しから見た二の丸石場門。

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二の丸石場門の外側から見る丸馬出し。
両側は外堀。

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丸馬出しと外堀。

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二の丸東面と紅葉の馬場の境目。
両者の間は外堀と土塁が用いられています。

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外堀から二の丸東面側は土塁で守られています。

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紅葉の馬場跡。

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二の丸北面に戻って埋門へ。

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ここを潜ると二の丸西面に出てきます。

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これで主郭部巡りは終わり。
次は城址公園外にある真田宝物館などを巡ります。

→次に続く。

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2011年1月10日 信越の城を巡る旅9 信濃松代城・その2  

松代城址めぐり。
続いては本丸に入ります。

北不明門の表門になる枡形門。

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枡形内から見る。

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北不明門の本丸側に位置する櫓門。
北不明門は先ほどの枡形門と対で構成されています。

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本丸跡。

この場所には本丸御殿がありましたが、度重なる水害に悩まされたことから、二の丸西面の南西側に位置する花の丸に御殿(花の丸御殿)が移されました。
なお、花の丸御殿は2度にわたる火災で再建されることなく現在は住宅地になっています。

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本丸跡に建つ海津城址の石碑。

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事実上の天守に相当する戌亥櫓。
現在は櫓台を残すのみ。

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戌亥櫓跡から見る松代城址。
写真中央奥が外堀と花の丸、内堀と土塁に挟まれている二の丸西面、土塁から右側手前が二の丸北面。

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正面奥の土塁から向こうが百間掘跡と新堀跡、手前側が二の丸北面、その右奥が紅葉の馬場跡。

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本丸御殿跡。

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本丸北東側。

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本丸側から見る太鼓御門。

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本丸跡はここまで続いては二の丸東面を見てきます。

→次に続く。

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2011年1月10日 信越の城を巡る旅8 信濃松代城・その1  

松代に到着しました。

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ここからは過去二度にわたって失敗している松代城へ登城することにしました。
城の名称である松代は江戸時代に入ってから幕府の命により改称されたもので、元は戦国時代の川中島の戦いにおいて上杉謙信を迎え撃つために築城された海津城がその前身で、城址公園としての名称である海津城址公園はそこから由来しています。
現在残されている松代城は主郭部の遺構のみで、外堀跡に位置する松代駅の背後に位置しています。

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屋代方の踏切をわたると城址公園正面が見えます。
踏切のあるあたりは三日月掘と馬出し曲輪がありました。

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赤く囲われた場所が外堀跡。

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二の丸南門。

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南門から見る二の丸跡。
正面が引橋御門(橋詰門)とその奥にある太鼓御門。

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引橋御門と前橋。

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城址公園として整備された主郭部は2004年に整備工事が進められ、太鼓御門や内堀などが復元されています。

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二の丸西面。
管理事務所・便所棟の背後の土塁から向こう側は外堀跡で、現在は一部が城址公園と住宅地となっています。

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外堀跡側から二の丸の土塁を見る。

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二の丸西面と北面の間にある埋門。
土塁設けられた門で外堀跡はこの辺りから右側に広がる。

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二の丸北面。

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二の丸北面土塁から見る。
左側に見えるのは百間掘跡。

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二の丸北面に続く紅葉の馬場。

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井戸跡。

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搦手木戸跡から見る北不明門周辺。
写真手前左側が新堀跡、同じく右側が百間掘跡。

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次は本丸に入ります。

→次に続く。

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三連休日記 2011年1月10日  

2011年1月10日(

遠征最終日である10日は長野へ移動し、過去何度か失敗した松代城への登城。
午後は上越へ移動して11月遠征で来訪できなかった高田城への登城、そのあとは大阪へ帰るという流れです。

松本市内のホテルをチェックアウトし松本駅へ。

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篠ノ井線の列車の車内で待っていると牽引用車両として使用されているクモヤ143形が入線。
滅多なことでは撮れないため撮っておきました。

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篠ノ井線は7:30発の列車に乗って長野へ移動。

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安曇平から離れてゆくと雪模様の車窓が展開されますが、これが遅れの原因になったようで10分近く遅れてしまいました。

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松代へのアクセスは長野駅から川中島バスの予定だったのですが、予定の乗り換え時間が短い設定だったため
屋代経由で長野電鉄に変更することにして篠ノ井で下車。

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篠ノ井からはしなの鉄道で屋代へ。
丁度良いタイミングで169系の湘南色編成に乗車出来たのは怪我の功名と言ったところ。

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屋代経由で松代に到着すると粉雪が舞う天候。

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ここではあまり積っていない状況だったことから松代城址めぐりは比較的楽に行えました。

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松代から川中島バスに乗って長野駅へ。
ここからは予定通りに戻ります。

長野からは189系の妙高5号に乗って信越線を高田まで。
長野市内を離れて山間部に入ると豪雪・・・。

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頚城平野に出てくると当日までの積雪とまたまた降ってきた粉雪に塗れ、高田駅から越後高田城までの道のりは厳しいものになってしまいました・・・。

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実質1時間程度の滞在時間と積雪のため城址公園内にある三階櫓だけ入って他はロクに見ないまま戻ってきてしまいました。

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直江津へ移動すると後は大阪へ帰るだけ。
直江津からはくたか16号に乗って金沢へ向かったのですが、6両と3両が各1編成しかない683系8000番台。

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金沢からのサンダーバード42号は683系4000番台。
こちらは福井駅での展示会以来で、営業運転が開始されてからは初乗車となります。

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22時過ぎに帰宅。
風が吹く本州最南端から豪雪の上越へ抜ける3日間の遠征が終わり、明日から再び仕事です・・・。

category: 日記

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